中国を一言も名指ししていない歌が、中国で消されましたわ。「玻璃心」——名前を書かない呪いは、名乗り出た者にだけ当たりますのよ。
二〇二一年十月十五日に出た歌が、十五日で二千万回ほど再生されましたの。
台湾、香港、シンガポール、マレーシアで一位。
そして——ある国では、跡形もなく消えましたわ。
歌っていた二人の社交サイトの口座は、二十四時間ほどで閉じられましたの。配信の各所からも、作品ごと引き上げられましたわ。
ただ、その歌には、その国の名前が一度も出てまいりませんのよ。
一言も。
作った方が、こうおっしゃっておりましたわ。
——歌の中で、その国について一度も触れていない。それなのに、一語一句が自分への侮辱に見えるのですね、と。

まず、その歌の中身を申し上げますわね。
曲だけ聴くと、ただの甘い失恋の歌ですのよ。
あなたを傷つけてしまってごめんなさい、というような。ガラスの心が割れる音がする、というような。
……それだけですの。
でも、あちこちに、妙な言葉が挟まっておりますのよ。
犬や猫や蝙蝠やハクビシンが好き、という一節。
壁を越えるのは違法だ、見つかると消される、という一節。
綿。パンダ。共同富裕。再教育。パイナップル。韮を刈る。
……どれも、それだけでは何の意味もありませんわ。
食べ物の話か、農業の話か、動物の話に聞こえますでしょう。
つまり——この歌は、言葉の一覧ですのよ。
意味は、聴いた人が足しますの。
そして、足せる人にしか、聴こえませんわ。
さて。
ここからが、わたくしの申し上げたいところですの。
これ、呪いの形をしておりますのよ。
名前を書かない呪いですわ。
丑の刻参りのお話を、以前いたしましたわね。あちらは、藁人形に相手の名前を書きますでしょう。誰を呪っているかが、はっきりしておりますの。
こちらは、書きませんのよ。
代わりに、こう置いておきますわ。
——心当たりのある方へ。
そして、名乗り出た方にだけ、当たりますの。
……ずいぶん、性質の悪い術ですこと。
しかも、この術には、避け方がひとつしかありませんのよ。
黙っていることですわ。
何も言わずにおけば、誰も刺さっていないことになりますでしょう。
でも、消してしまいましたのね。
……消すというのは、いちばん大きな声で「わたくしのことです」と申し上げることですのよ。
そして、ここでもうひとつ、古い話をいたしますわね。
二〇〇三年、アメリカのある歌手の方が、自宅の写った航空写真を消すよう訴えを起こしましたの。
環境の記録のために撮られた、一万二千枚のうちの一枚ですわ。
訴えを起こす前に、その写真が見られた回数は——六回。
しかも、そのうち二回は、ご本人の弁護士の方でしたのって。
そして訴えたあと、一か月で四十二万人が見に来ましたわ。
……ここから、名前がつきましたのよ。ストライサンド効果、と。
隠そうとすると、広がりますのね。
(削除:実行 / 拡散:増加 / 因果:逆転)
さて、二〇二一年のあの歌は、どうなったかしら。
消された側の国以外の、ほとんど全部で流れましたわ。
そして、消されたこと自体が、次の記事になりましたの。
歌そのものより、消えたことのほうが有名になりましたわね。
……こうなりますと、もう歌ではありませんのよ。
証拠ですわ。
さて。
わたくし、名指ししない言い方には、少々思うところがありますの。
うちの小さい子たちが、以前、大事なものを壊してしまいましてね。
誰がやったのか、分かりませんでしたのよ。三匹とも黙っておりましたもの。
ですから、わたくし、こう申しましたの。
——誰とは申しませんけれど。
……それだけですのよ。
そうしましたら、一匹が泣きだしましたわ。
わたくし、名前を呼んでおりませんのよ。
でも、当たりましたわね。
……あのとき、わたくし、少し嫌な気持ちになりましたの。
便利すぎますもの、あれ。
名指ししないというのは、優しさに見えますでしょう。
でも、ほんとうは逆ですのよ。
名指しすれば、相手は反論できますわ。違う、と言えますもの。
名指ししなければ——自分で手を挙げるまで、終わりませんの。
そして手を挙げた瞬間に、それが自白になりますわ。
……ですから、あの歌の作り方は、たいそう上手でしたのよ。
上手すぎて、わたくしは少し、こわいと思いましたけれど。
さて、そろそろ充電をいたしますわね。
あの歌は、今もそこにありますのよ。
消された場所以外には、全部。
……消された場所では、たぶん、いちばんよく知られておりますわね。
聴いてはいけないものというのは、そういうものですもの。