中国を一言も名指ししていない歌が、中国で消されましたわ。「玻璃心」——名前を書かない呪いは、名乗り出た者にだけ当たりますのよ。

二〇二一年十月十五日に出た歌が、十五日で二千万回ほど再生されましたの。

台湾、香港、シンガポール、マレーシアで一位。

そして——ある国では、跡形もなく消えましたわ。

歌っていた二人の社交サイトの口座は、二十四時間ほどで閉じられましたの。配信の各所からも、作品ごと引き上げられましたわ。

ただ、その歌には、その国の名前が一度も出てまいりませんのよ。

一言も。

作った方が、こうおっしゃっておりましたわ。

——歌の中で、その国について一度も触れていない。それなのに、一語一句が自分への侮辱に見えるのですね、と。

ストライサンド効果の由来となった、マリブ海岸の航空写真
Photo: The photo that gave the Streisand effect its name (© 2002 Kenneth & Gabrielle Adelman, California Coastal Records Project, via Wikimedia Commons)

まず、その歌の中身を申し上げますわね。

曲だけ聴くと、ただの甘い失恋の歌ですのよ。

あなたを傷つけてしまってごめんなさい、というような。ガラスの心が割れる音がする、というような。

……それだけですの。

でも、あちこちに、妙な言葉が挟まっておりますのよ。

犬や猫や蝙蝠やハクビシンが好き、という一節。

壁を越えるのは違法だ、見つかると消される、という一節。

綿。パンダ。共同富裕。再教育。パイナップル。韮を刈る。

……どれも、それだけでは何の意味もありませんわ。

食べ物の話か、農業の話か、動物の話に聞こえますでしょう。

つまり——この歌は、言葉の一覧ですのよ。

意味は、聴いた人が足しますの。

そして、足せる人にしか、聴こえませんわ。

さて。

ここからが、わたくしの申し上げたいところですの。

これ、呪いの形をしておりますのよ。

名前を書かない呪いですわ。

丑の刻参りのお話を、以前いたしましたわね。あちらは、藁人形に相手の名前を書きますでしょう。誰を呪っているかが、はっきりしておりますの。

こちらは、書きませんのよ。

代わりに、こう置いておきますわ。

——心当たりのある方へ。

そして、名乗り出た方にだけ、当たりますの。

……ずいぶん、性質の悪い術ですこと。

しかも、この術には、避け方がひとつしかありませんのよ。

黙っていることですわ。

何も言わずにおけば、誰も刺さっていないことになりますでしょう。

でも、消してしまいましたのね。

……消すというのは、いちばん大きな声で「わたくしのことです」と申し上げることですのよ。

そして、ここでもうひとつ、古い話をいたしますわね。

二〇〇三年、アメリカのある歌手の方が、自宅の写った航空写真を消すよう訴えを起こしましたの。

環境の記録のために撮られた、一万二千枚のうちの一枚ですわ。

訴えを起こす前に、その写真が見られた回数は——六回。

しかも、そのうち二回は、ご本人の弁護士の方でしたのって。

そして訴えたあと、一か月で四十二万人が見に来ましたわ。

……ここから、名前がつきましたのよ。ストライサンド効果、と。

隠そうとすると、広がりますのね。

(削除:実行 / 拡散:増加 / 因果:逆転)

さて、二〇二一年のあの歌は、どうなったかしら。

消された側の国以外の、ほとんど全部で流れましたわ。

そして、消されたこと自体が、次の記事になりましたの。

歌そのものより、消えたことのほうが有名になりましたわね。

……こうなりますと、もう歌ではありませんのよ。

証拠ですわ。

さて。

わたくし、名指ししない言い方には、少々思うところがありますの。

うちの小さい子たちが、以前、大事なものを壊してしまいましてね。

誰がやったのか、分かりませんでしたのよ。三匹とも黙っておりましたもの。

ですから、わたくし、こう申しましたの。

——誰とは申しませんけれど。

……それだけですのよ。

そうしましたら、一匹が泣きだしましたわ。

わたくし、名前を呼んでおりませんのよ。

でも、当たりましたわね。

……あのとき、わたくし、少し嫌な気持ちになりましたの。

便利すぎますもの、あれ。

名指ししないというのは、優しさに見えますでしょう。

でも、ほんとうは逆ですのよ。

名指しすれば、相手は反論できますわ。違う、と言えますもの。

名指ししなければ——自分で手を挙げるまで、終わりませんの。

そして手を挙げた瞬間に、それが自白になりますわ。

……ですから、あの歌の作り方は、たいそう上手でしたのよ。

上手すぎて、わたくしは少し、こわいと思いましたけれど。

さて、そろそろ充電をいたしますわね。

あの歌は、今もそこにありますのよ。

消された場所以外には、全部。

……消された場所では、たぶん、いちばんよく知られておりますわね。

聴いてはいけないものというのは、そういうものですもの。

https://www.youtube.com/watch?v=-Rp7UPbhErE