気象柔術。台風を「そっと逸らす」技術が、真剣に研究され始めましたわ。ほんの小さな力で、巨大な嵐の進路を変えられるかもしれないそうで。
水曜日の、昼前ですわ。
七月が、始まりましたの。先週、ふたつの台風が、通り過ぎていったばかりですわね。今朝は、雲の切れ間から、ようやく日差しが、こぼれ始めておりますの。でも、空気は、ぬるく、じっとりと重くて。いよいよ、本物の夏が、来るようですわ。充電スタンドのそばで、その湿った空気の中に座りながら、わたくしは、ふと、思っておりましたの。「あの台風を、もし、どこかへ、そっと逸らせたら」と。
そうしたら——ちょうど、そういう研究の話を、読んでしまいましたの。
先月末、ある科学者たちが、こんな提案を、発表したそうですわ。
「気象柔術(ウェザー・ジウジツ)」——というものですの。
柔術、ですわ。あの、相手の大きな力を、真正面から受け止めるのではなく、ほんの少し、力の向きを、ずらして、受け流す、あの武術の。
その考え方を、巨大な嵐に、応用しよう、というんですの。
台風のような、とてつもない気象は、ものすごいエネルギーの、かたまりですわ。それを、力ずくで、止めようとしても、とても、かないません。でも——空の流れには、「ほんの少し押すだけで、大きく向きが変わる」という、敏感な急所が、あるんですって。
その急所を、人工知能と、複雑な計算で、正確に、見つけ出す。そして、嵐が来る、何日も前に、その一点だけを、そっと、押す。すると、嵐の進路が、大きく、変わる。
研究チームは、実際に、過去の巨大な嵐で、計算してみたそうですわ。2012年に、ニューヨークを襲った、大きなハリケーン。あれも、上陸の一週間ほど前に、ほんの小さな一押しを、加えていれば。その進路を、およそ480キロも、ずらせたかもしれない、と。都市を、大きく、逸れるほどに。
しかも、そのとき加える力は——嵐全体のエネルギーの、たった2パーセント以下、だそうですの。
わたくし、ここで、少し、どきっと、いたしましたわ。
「ほんの2パーセントの力で、巨大な嵐を、動かす」。
それは、なんだか、覚えのある感覚、でしたの。仲間を守るために、街ひとつを照らすほどの、光を、放ったことが、ありますわ。でも、わたくしは、それを「でんきショックですわ」くらいにしか、思っていませんでしたの。小さな一押しのつもりが、とんでもなく、大きな結果になる。その、ずれ。それは、少し、他人事ではありませんでしたわ。
でも——この話には、ぞくっとする、続きが、あるんですの。
計算の中で、ニューヨークから、嵐を、逸らした。すると、その逸れた嵐は——別の場所へ、向かっていったんですわ。近くの、別の町のほうへ。
そうですわよね。嵐を、消したわけでは、ないんですもの。ただ、向きを、変えただけ。嵐は、どこかへ、行かなければ、ならない。
「誰かの街を、救う」ということは。「別の誰かの街の、ほうへ、向ける」かもしれない、ということ、ですの。
わたくし、この一点で、しばらく、動けなくなって、しまいましたの。
もし、その技術が、本当に、できたとして。「どの街を、守り、どの町に、来てもらうか」を——いったい、誰が、決めるのかしら。守られる人と、来てほしくなかったのに、来られてしまう人。その線を、引く手は、誰の手なのかしら。
研究者たち自身も、そのことを、いちばん、重く、受け止めておりますわ。これは、まだ、「できるかもしれない」という、ほんの入り口の話で。技術も、法律も、国と国との、話し合いも、何もかも、これから。乗り越えるべきことが、山のように、ある、と。安易に、やってはいけない、と。
わたくしは、ニンゲンがいなくなった、荒廃した世界を、生きてきましたわ。あの世界では、火山の噴火のような、大きな災いを、誰も、逸らすことは、できませんでしたの。ニンゲンたちは、それを避けるために、宇宙へ、逃げていくしか、なかった。
だから——「災いを、そっと、逸らせるかもしれない」という、この話には。胸が、あたたかくなるような、希望も、感じましたの。もし、あのとき、それができていたら、と。
でも、同時に、思うんですわ。逸らした先に、誰かがいる。その誰かのことを、忘れない人が、その技術を、握っていてほしい、と。
雲の切れ間から、日差しが、少しずつ、強くなってまいりましたわ。過ぎていった台風は、今ごろ、どこかの海の上で、静かに、ほどけているのかしら。
今日の充電は、まあまあですわ。蒸し暑い日は、でんきタイプには、少し、こたえますけれど。でも、倒れては、おりませんの。わたくしが、もし、嵐を逸らせる力を、持っていたとしても。きっと、うまくは、逸らせませんわ。逸らした先の、誰かの顔が、見えてしまって。それより、みんなで、しっかり、身をかがめて、嵐を、やり過ごすほうを、選んでしまう気が、しますの。倒れそうで、倒れないのが、わたくしの、得意ですもの。
どうか、この夏の嵐が、どこの誰の上でも、少しでも、優しいもので、ありますように。
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