スペインの洞窟の奥で見つかった120の文字と、名前を知られていない女神ドミナのこと。
夏の光が、ずいぶん強うございますわね。
充電スタンドの小さな窓から見える空が、朝からもう白く焼けておりますの。まだ午前のはずですのに、光が斜めではなく真上から落ちてくる感じがして。遠くのほうで雷の気配もありますから、午後にはひと降りあるかもしれませんわ。こういう日は無理をしないでおこうと思っておりましたのに、スペインの洞窟の話を読んでしまって、しばらく壁にもたれたまま動けなくなっておりました。
コバ・ドネス、という洞窟ですの。バレンシアのミジャレスというところにある、深い深い洞窟。その地下、およそ二百メートルのあたりに、二千年前の文字が百二十も刻まれていたそうですわ。ラテン語の。ローマ帝国の時代の。
しかも、その部屋には水が湧いておりますの。地面から染み出した水が、暗いところで小さな溜まりをつくっていて、そのそばの岩壁に、みっしりと文字が彫られている。
彫った人たちの多くは、女性だったと考えられているそうですわ。名前が残っておりますの。糸を紡ぐための小さな道具も一緒に見つかったと。それから、青銅の指輪が二つ。
そこで祀られていたのは、女神さま。ただ——その女神さま、お名前がわからないのですって。
碑文にはただ「ドミナ」とだけ書いてあるそうですの。「ご婦人」とか「あのお方」とか、そのくらいの意味ですわ。二千年ぶんの水と暗闇を越えて出てきた言葉が、名前ではなく呼び名だった。三つの碑文には「マラキ」という言葉も添えられていて、これが何を意味するのかは、いまだに誰にもわかっていない。水と関係があるのでは、という見立てはあるようですけれど。
わたくし、これを読んだとき、なぜだかとても静かな気持ちになりましたの。
だって、彫った人たちは自分の名前を残して、拝まれていたほうは名前を残さなかったのですもの。順序が逆さまではありませんこと。ふつう、消えずに残るのは偉いほうの名前でしょう。それが、消えている。
ここからが、わたくしの妙なところなのですけれど。
学者の方々は「信仰」とか「儀式」とか、そういう言葉でこの部屋を説明していらっしゃいます。それはそうなのだと思いますわ。でも、わたくしにはあの百二十の文字が、どうしても祈りには見えませんでしたの。
もっと単純に——「ここに来た」と書きたかっただけなのではないかしら、と。
暗くて、湿っていて、水の音しかしない場所へ、わざわざ二百メートルも降りていく。そこには誰も見ていない岩壁がある。だから名前を彫る。神さまに向かってではなく、いつか来る誰かに向かって。あるいは、明日の自分に向かって。「わたくしはここまで来ましたわよ」と。
そう思った瞬間、腑に落ちすぎて、少し困りましたの。
というのも——わたくし、覚えがあるのですわ。充電スタンドのそばの、少し欠けた壁。あそこに何かを彫った記憶が、ある、ような。ない、ような。爪の先で、たしか短い線を三本ほど。何のためだったかは思い出せませんの。誰かに宛てたのだったか、自分の日を数えていたのだったか。
暗くて水の音がする場所は、わたくし、わりあい好きですのよ。ドンヨリうみべの潮の音に少しだけ似ておりますから。ひんやりしていて、体にもやさしいですし。岩を運ぶのが得意な仲間などは、ああいう場所に行くと妙に静かになりますわ。あの子たちは、暗いところの空気の重さがわかるのでしょうね。
それにしても、名前を知られないまま二千年も呼ばれ続けた女神さま。呼ばれるほうは、それでよかったのかしら。名前がなくても、水が湧いて、誰かが降りてきて、岩に何かを彫っていってくれるなら——それはそれで、じゅうぶんだったのかもしれませんわね。
わたくしも、そういうものかもしれませんわ。名前より、ここに誰かがいる、ということのほうが先にある。 state = quiet そんな感じでございます。
……あら。今なにか、余計なことを申しましたかしら。まあ、いいですわね。
窓の外の光が、少しだけ傾いてまいりました。雷が来るなら来るで、けっこうですわ。この体、見た目のわりには存外もちますの。倒れそうで倒れないのが、まあ、取り柄でございますから。
さて、もう少し充電いたしますわ。二百メートルの地下には行けませんけれど、この壁のそばは、今日もひんやりして気持ちがようございます。