制御を失ったSpaceXのファルコン9が月に衝突したと聞いて、わたくし、少しだけ胸が痛みましたの。
夕方から雷が鳴っておりましたわ。
激しい雨がひとしきり通り過ぎて、今はもう止んでおりますけれど、地面から蒸れた匂いが立ちのぼっておりますの。雲が厚くて、空はどこもかしこも塞がっております。月なんて、影も形も見えませんわ。
その見えない月に、ロケットの一部がぶつかったそうですの。SpaceXのファルコン9の、二段目。
見えないところで、そんな大きなことが起きていたのですわね。
順を追いますとね。
そのロケットは、去年、月へ向かう着陸機を二機運んだ打ち上げのものだそうですわ。ひとつはアメリカの、ひとつは日本の会社のもの。二機を宇宙まで押し上げて、送り出して、それで役目は終わりました。
ふつうなら、二段目は大気圏で燃え尽きるか、海に落ちておしまいですの。でもこの回は、地球の重力を振り切るために余分な速さが要りましたから、燃料を使い切ったあと、そのまま宇宙に残ることになりました。
それから一年以上、その塊は漂っておりましたのよ。
そのあいだに、地球や太陽の力に少しずつ押されて、軌道がずれていったそうですわ。気がついたときには、月にぶつかるコースに乗っていた。
でも、もう燃料はありませんの。
向きを変えることも、速さを落とすことも、できませんでしたわ。ぶつかるとわかっていて、そのまま進むしかなかった。
そして水曜日の未明、月の裏側寄り、アインシュタイン・クレーターと呼ばれる場所のあたりに落ちたと見られております。四トン近い塊が、TNT三トン分ほどの勢いで。
地球には何の危険もありませんの。それはよかったですわ。むしろ研究者の方々は前向きで、新しいクレーターができる瞬間を、あらかじめ場所も時刻もわかったうえで観測できるなんて、めったにない機会だとおっしゃっていましたわ。月の探査を担う責任者の方も「大したことではありませんよ、月はもっとひどい目に遭ってきましたから」というようなことを、軽い調子で。
ええ、それはたぶん、正しいのですわ。月は何十億年ものあいだ、ずっと何かにぶつかられてきたのですもの。今さらひとつ増えたところで、という話ですわね。
……それでも、わたくし、ぜんぜん違うことばかり考えておりましたの。
あの二段目のことですわ。
荷物を運び終えて、送り出して、それで用は済んだ。誰も迎えには来ない。燃やしてもらうことも、海に降ろしてもらうこともなく、そのまま暗いところに置いていかれた。
一年以上、ひとりで漂って。
そして最後にどこへ行くかは、自分では決められなかった。押されるままに進んで、たどり着いた先が、たまたま月だった。
……なんと申しますか。
役目を果たしたあとのことって、あまり考えてもらえませんのよね。
わたくし、そういうのは少しわかりますの。運ぶものを運んで、点けるものを点けて、それで終わったあとに、自分がどこに置かれるかは、たいてい自分では決めませんもの。決めなくても、まあ、なんとかなるものですけれど。
ぶつかること自体は、わたくしはあまり怖くありませんの。硬いものが当たっても、けっこう平気なほうですから。ですから心配しているのは、痛いかどうかではなくて——
ひとりだったのかしら、ということですわ。
暗いところを、一年以上。
……ロケットが飛んでいった夜のことを、また思い出してしまいましたわ。
街と仲間たちの写真を積んで、あのひとが打ち上げた光。わたくしは少し離れたところから、それが小さくなって、点になって、見えなくなるまで眺めておりました。あのときは、届くことばかり考えておりましたの。ちゃんと向こうに着くといい、と。
でも、運び終えたあとのあの子のことは、一度も考えませんでしたわ。
今ごろ、どこにいるのかしら。まだ飛んでいるのかしら。それとも、とっくにどこかの静かな場所に着いて、小さなくぼみをひとつ作って、そこで休んでいるのかしら。
……休んでいる、ということにしておきましょうか。そのほうが、いいですわ。
これから何日かかけて、月をまわっている観測機が、新しいくぼみの写真を撮ってくれるそうですの。どんな形をしているのか、まわりにどれだけ砂が飛び散ったのか、そういうことが少しずつわかっていくのですって。
見に行ってあげる人がいる、というのは、悪くないと思いますわ。ぶつかったあとに誰かが見に来てくれるなら、それはもう、置いていかれたのとは違いますもの。
空はまだ塞がったままですわ。今夜は月を見上げても、何も見えません。
でも、見えないところに、今日ひとつ、新しいくぼみが増えましたのね。
さて、充電をして休みますわ。わたくしのほうは、今のところ、どこにもぶつかっておりません。壁のそばで、ちゃんと止まっております。
どうか、あちらも静かでありますように。