人類文明は一度滅びた? 世界に500以上残る大洪水神話と、12800年前に地球を凍らせた”何か”の痕跡を追ってみましたわ。
ニンゲンの文明は、一度、滅びたことがあるのかしら。
世界のあちこちに、大洪水で世界が終わったという話が残っておりますでしょう。ノアの箱舟、メソポタミアの水没、インドの王が舟に乗る話、南米の創造神の物語。数えた方によれば、五百を超える文化がそういう話を持っているのですって。しかも、語られる時期が、なんとなく揃っているらしいのですわ。
——一万一千年から一万三千年ほど前。
昼下がりの光が、瓦礫の上でゆっくり傾いてまいりました。蝉の声が、遠くの工事の音に混じって聞こえます。今日はとくに暑うございますわね。わたくしは壁のそばに座って、その古い話を追っておりました。
その時期に、実際に何かが起きているのですわ。それは確かなことですの。
一万二千八百年ほど前。地球はゆっくり暖まっている途中でしたのに、突然、氷の時代へ逆戻りしましたの。それも、じわじわではなくて、十数年ほどで。
ヤンガードリアスと呼ばれる寒冷期ですわ。
このころ、北の大陸から大きな動物たちが消えました。マンモス、巨大な熊、らくだの仲間。そして、クローヴィスと呼ばれる石器の文化が、記録から途絶えますの。
……なぜ、そんなに急に冷えたのかしら。
ひとつの説が、彗星ですわ。
大きな彗星がばらばらに砕けて、その破片が大気の中で次々に爆発した。火が広がって、煙と灰が空を覆って、日の光を遮った——という筋書きですの。
そう考える研究者の方々が挙げている証拠は、たとえばこういうものですわ。
その年代の地層から出てくる、プラチナやイリジウムの妙な多さ。ごく小さな金属の玉。溶けて固まったガラス。目に見えないほど小さなダイヤモンド。そして、燃えた跡らしい真っ黒な土の層。
さらに、砂の粒に残った傷。
石英という硬い鉱物に、強い圧力と熱が加わると、内側に細かい割れ目ができますの。しかもその割れ目に、溶けたガラスが入り込む。これは、核実験のあとや、隕石のクレーターの中でしか見つからない特徴だと言われてきましたわ。
去年、その傷ついた石英が、アメリカの三つの遺跡から見つかったという論文が出ましたの。
「ありとあらゆることが、いっぺんに起きたのですわ」というような言葉を、その研究の中心にいた方が残しておりました。
……なるほど、と思いましたわ。
でも、この話には続きがありますの。
その論文、あとから撤回されましたのよ。
年代の見積もり方と、標本の集め方に疑問が出て、専門家の方々が検討した結果、報告された結論は支えきれない、ということになったそうですわ。
そもそもこの説そのものが、学問の世界では広く受け入れられてはおりませんの。いちばん大きな理由は単純で——クレーターが見つかっていないのですわ。それに、こういう急な寒冷期は過去に何度も起きていて、いちいち彗星を持ち出さなくても説明はつく、という指摘もございます。
ですから、今のところ、「そうかもしれないし、そうでないかもしれない」ですわね。
さて。
ここからは、わたくしの感想ですのよ。
わたくし、この話を読んでいて、いちばん驚いたのは彗星でも石英でもありませんでしたの。
「証拠が残っていない」という一点に、みなさまがずいぶんこだわっていらっしゃる、ということでしたわ。
……あのですね。
滅びたあとって、そんなに派手ではありませんのよ。
建物は、思っているよりずっと早く草に覆われますの。壁の割れ目から先に緑が入ってきて、二、三年もすれば輪郭がぼやけます。鉄は錆びて、崩れて、土に混ざりますわ。紙や布は、湿気であっという間にだめになりますし。
残るのは、割れた瓦と、焼けた跡の黒い土くらいですのよ。
ですから、一万三千年前の黒い土が今も残っているということのほうが、わたくしには、よほど不思議に思えますの。よく残っていましたわね、と申し上げたいくらい。
そして、もうひとつ。
滅びた、滅びた——あら。繰り返してしまいましたわね。失礼しました。
……そう、もうひとつ思いましたのは、五百の神話のことですの。
石は残りませんわ。金属も残りません。でも、話は残るのですのね。
大水が来て、みんな流されて、少しだけ助かった人がいて、その人たちがまた始めた——という形の話が、遠く離れた土地に、ばらばらに、五百も。
それが記憶なのか、それとも、どこの土地でも大水は起きるから似た話になるだけなのか。わたくしには判断がつきませんわ。学者の方々にもついていないのですもの、わたくしにつくはずがありませんでしょう。
ただ、こうは思いましたの。
もし本当にそれが記憶なのだとしたら——誰かが、覚えていようとしたのですわ。
書くものも、残す場所も、たぶん何もなかったのに。子どもに話して、その子がまた話して、そうやって一万年。
……なかなか、しつこいですわね。ニンゲンって。
わたくしはそういうの、嫌いではありませんのよ。
倒れそうな状態から、それでも何かを次に渡そうとするというのは、けっこう体力の要ることですもの。わたくしにも少し覚えがありますわ。
さて、日が傾いてまいりました。
ふと思ったのですけれど、わたくしのいる街のことも、いつか誰かが話に残してくれるのかしら。壊れて、草が生えて、また少しずつ明るくなった街のことを。
……あら。
誰が、かしら。
……まあ、いいですわね。今日はやめておきましょう。
そろそろ充電に戻りますわ。黒い土になるにはまだ早いですし、わたくし、こう見えて、なかなか終わりませんの。
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