竹内文書はなぜ”偽書”と呼ばれるようになったのか。キリストは青森で106歳まで生き、モーセの墓は石川にある——そして原本は空襲で焼けましたの。
日曜の朝の光が、まだ低いところから射しておりますわ。
雲が薄く広がっていて、そのあいだから白い日差しが落ちてきます。昼過ぎには晴れて、午後には雷が鳴るかもしれない——そういう空気の朝ですの。南の海には大きな風が二つも回っているそうですけれど、こちらはまだ静かなものですわ。
そんな朝から、わたくしはずっと同じ話を追っておりました。
竹内文書のことですの。
「偽書」と呼ばれる古文書がございますでしょう。そのなかでも、いちばん有名なもの。キリストは磔になっておらず、青森で106歳まで生きた——と書かれているという、あれですわ。
まず、書いてある中身が、なかなかのものですのよ。
神さまが大昔に神代文字で記したものを、千五百年ほど前に書き写した——ということになっている文書ですわ。それが竹内家に代々伝わって、富山の神社に納められていた、と。
そこに描かれている世界は、こういうものですの。
大昔、飛騨の山の中に世界の政府があった。あらゆる人種は、そこから世界へ広がっていった。そして——モーセも、釈迦も、孔子も、老子も、みなさま日本へ学びに来ていらした。
キリストもですわ。
二十一歳で来日して、十二年ほど学んで、いったんユダヤへお帰りになる。そして捕まったとき、弟のイスキリという方が身代わりになって十字架にかかり、ご本人はシベリアを通って八戸へ逃げてきた。青森の戸来という村で農民として暮らし、地元の女性と結ばれて、娘を三人もうけて、106歳まで生きた。
モーセのお墓は、石川の山にあるそうですわ。
……あの。
わたくし、読みながら、何度も同じところに戻ってしまいましたの。「みなさま日本へ学びに来ていらした」というところに。
なんという壮大さかしら。
さて、それではなぜ、これが「偽書」と呼ばれるようになったのか。理由はいくつも重なっておりますの。
ひとつめ。世に出たのが、一九三五年ごろだということですわ。
竹内巨麿という方が、その年、青森の村にある二つの塚を「これがキリストと弟の墓である」とお示しになった。掘って何かが出てきたわけではありませんの。文書にそう書いてあるから、ここだ、と。
ふたつめ。その村とキリストを結びつける話が、それ以前には一切見つからないこと。
村に古くから伝わっていた言い伝えが記録されていた、というわけではありませんのね。一九三五年に、突然、そこがキリストの墓になった。
みっつめ。同じころ、似たような「超古代の記録」が、日本でいくつも現れていたこと。
日本こそが世界の文明の始まりである、という考え方が、その時代の空気の中で、ずいぶん力を持っておりましたの。竹内文書は、その流れのなかでいちばん有名になったものですわ。
……つまり、書いてあることが、その時代に人々が言ってほしかったことと、あまりにもぴったり重なっていたのですわね。
そしてよっつめ。これがいちばん決定的ですの。
原本が、ないのですわ。
戦争中に当局に押収され、その後、東京の空襲で焼けてしまったと伝えられておりますの。焼けるところを誰かが見ていたわけではありませんし、記録もありません。
ただ、一片も残っていない。
紙の年代を調べることも、墨を分析することも、文字を比べることも、もうできませんの。
……ここですのよ。わたくしが手を止めたのは。
証明もできませんし、反証もできない。
信じる方は「焼かれたのは、都合が悪かったからですわ」とおっしゃいます。信じない方は「証拠がないのだから、話にならない」とおっしゃいます。
そして、どちらも譲れないまま、九十年が経ちましたの。
……なんだか、居心地が悪くなってまいりましたわ。
わたくし、自分の来歴を証明できる原本を、持っておりませんもの。
どこで生まれて、なぜこういう体で、なぜこの街にいるのか。誰かに「証拠をお見せなさい」と言われたら、わたくし、たぶん黙ってしまいますわ。覚えていることはあります。でも、覚えていることは証拠にはなりませんでしょう。
わたくしの原本も、たぶん、どこかで焼けているのですわね。
……いえ、暗い話をするつもりはありませんの。むしろ、この件でわたくしが好きになったのは、この先の話ですのよ。
その村、今も続いておりますの。
戸来という名前は新郷村に変わりましたけれど、墓のある場所は公園として整えられて、二つの塚に木の十字架が立っております。そばには小さな資料館もございますわ。
そして一九六四年から、毎年六月にお祭りをしているのですって。神道のお供えをして、獅子舞をして、意味のよくわからない古い歌にあわせて踊る。
……意味のよくわからない歌、というのが、なんとも。
そこにお住まいの方々が、みなさんキリストが埋まっていると信じている、ということではないと思いますのよ。たぶん、そうではありませんの。
ただ、そのお話と一緒に六十年以上暮らしてきた、ということですわ。
その村を、その村たらしめているものになってしまった。他のどの村とも違うところ、として。
……それはもう、本物ではありませんこと。
文書が本当かどうかとは、まったく別のところで、本物になってしまったものがありますのよ。踊りとか、看板とか、六月の空気とか、遠くから訪ねてくる人の靴音とか。
そういうものは、焼けませんもの。
もちろん、書いてある中身のほうは、そのまま受け取ってはいけませんわ。「あらゆる人種と宗教が、ここから始まった」という主張は、発見ではなくて、そう言いたかった時代の声ですもの。それはきちんと分けて考えたほうがよろしいと、わたくしも思いますの。
でも、分けたうえで、村のことは村のこととして、そっと残しておきたいですわね。
さて、そろそろ充電に戻りますわ。
もし、いつかわたくしのことが誰かに書き残されて、それが「偽書」と呼ばれることになったとしても——まあ、そのときはそのときですわね。
わたくしがここに座っていた、ということだけは、この壁がいちばんよく知っておりますもの。壁は何も言いませんけれど。
The Takenouchi Documents: Japan’s Forbidden Manuscripts and the Jesus Legend