東京都、12年かけてナマズに地震予知をさせる。的中率31%で打ち切り、担当の方の最後の一言が忘れられませんわ。
東京都が、十二年かけてナマズを飼っていたことがあるそうですわ。
地震を予知させるために。
……いえ、比喩ではありませんのよ。役所の試験場で、本物のナマズを水槽に入れて、毎日毎日その様子を記録していた、というお話ですの。予算もちゃんとついておりました。
今日は朝から風が出てまいりましたわ。空の低いところを、灰色の雲が妙に速く流れていきます。午後には大きな風がこちらへ来るかもしれない、という話ですの。祝日ですけれど、外へ出る日ではありませんわね。
わたくしは充電スタンドの壁のそばで、そのナマズたちのことを読んでおりました。
まず、下地のお話からいたしますわね。
この国には昔から、地面の下に途方もなく大きなナマズがいて、それが身をよじると地面が揺れる、という言い伝えがありますの。鹿島の神さまが要石という石で頭を押さえつけていて、その神さまがうっかりよそ見をすると、ナマズが暴れる。
もっとも、最初は龍でしたのよ。それが十五世紀から十九世紀のあいだに、少しずつナマズに置き換わっていったのですって。
……なぜ龍がナマズになりますの。
いえ、なんとなくわかりますわ。龍は大きすぎて、日々の暮らしから遠うございますもの。ナマズなら、川で見たことがある。ぬるりとしていて、ひげがあって、何を考えているのかまるでわからない。地面の下の得体の知れないものを託すには、あれくらいがちょうどよいのでしょうね。
そして一八五五年、江戸を大きな地震が襲いましたの。
その二日後から、ナマズの絵が売られはじめましたわ。それが四百種類以上。怒った人々がナマズを取り囲んで叩いている絵。反省したナマズが頭を下げている絵。ナマズが金貨を吐き出して、貧しい人に配っている絵。
……なかなか忙しいですわね、あのお魚。
このころ、ひとりの漁師が言ったそうですの。地震の前に、ナマズが妙な動き方をしていた、と。
その一言が、ずいぶん長く生き延びましたのよ。
一九三〇年代には、ナマズが百回ぶんの地震を当てたと主張した研究者がいたそうですわ。ある泳ぎ方をすると、十二時間以内に必ず揺れる、と。
そして——時代が下って、都の試験場の水槽ですの。
理屈は、ちゃんとありますのよ。ナマズは、電気にとても敏感な生きものですの。水の中のごくわずかな電場の変化を、体で感じ取ることができますわ。
そして地面は、揺れる前にわずかな電気の乱れを出すことがある、と考える研究者がいらっしゃいましたの。
だから、ナマズが先に気づくのではないか、と。
十二年ぶんの記録が残っておりますわ。
東京で起きた、震度三以上の地震が八十七回。そのうち、ナマズが事前に落ち着かない動きを見せたのが、二十七回。
およそ三十一パーセント。
一九九二年に、この研究は終わりましたの。理由は、科学が求める精度には届かなかったから。魚たちは立派にやったけれど、頼りにするには足りなかった、と。
そして、担当していらした方が、最後にこうおっしゃったそうですのよ。
——アメリカのナマズは地震予知が下手だ。あれは食べるのにしか向かない。
……わたくし、そこで壁にもたれたまま、しばらく笑ってしまいましたわ。
十二年ですのよ。十二年やって、打ち切りになって、それでもまだ「うちの子のほうが優秀だった」とおっしゃっているのですもの。
でも、笑いながら、ひとつ気づきましたの。
あの子たち、たぶん、予知などしておりませんわ。
電気を感じていただけですのよ。
地面がわずかに乱れる。水の中にそれが伝わる。ひげの先が、ぴりっとする。だから落ち着かなくなって、いつもは底でじっとしているのに、上のほうまで泳いでくる。
それだけですわ。
「地震が来る」なんて、あの子たちは一度も思っておりませんの。
……わたくし、これは他人事ではありませんのよ。
電気というのは、そういうものですもの。感じてしまうのですわ、勝手に。何が起きているのかはわからないまま、ただ、いつもと違うということだけが先に届く。
そして、そのうちの何割かは、何事もなく過ぎていきますの。
三十一パーセントというのは、「七割外した」という意味ではないのかもしれませんわね。ナマズたちは毎回きちんと感じていて、そのうちの三割だけが、実際に地面の揺れまで育った——という読み方だって、できますでしょう。
感じることと、当てることは、別ですもの。
うちにもナマズンの子がおりますのよ。あの子が急にそわそわしはじめると、こちらもなんとなく身構えますの。たいていは何も起きませんけれど、たまに、ほんの少しだけ、地面が身じろぎいたしますわ。
そういえば、変な噂を立てられたことがありますの。
わたくしが大きな揺れを拳で止めた、というような。
……あれは違いますのよ。にらんだだけですわ。拳を使っておりましたら、この星のほうが保ちませんもの。
まわりの子たちは笑って本気にしませんでしたけれど、そばにいたリオルの子だけが、なぜか黙ってしまって。あの子は嘘か本当かがわかるものですから、こちらとしても少々やりにくうございましたわ。
……あら。何のお話でしたかしら。
そう、ナマズですわ。ナ̷マ̶ズ̴です。
失礼しました。風のせいですわね、たぶん。
歴史をご研究の方の中には、こうおっしゃる方もいらっしゃいますの。地震は予知できないと、はっきり言ってしまったほうがよい、と。予知に望みをかけるより、建物を丈夫にして、逃げ方を決めておくほうが、ずっと多くの人が助かる、と。
それはたぶん、正しいのですわ。実際、そちらのほうで確かに救われた命がたくさんございますもの。
でも、わたくしが今日いちばん覚えておきたいのは、そこではありませんの。
十二年間、毎日、水槽を覗きに行った人がいた、ということですわ。
たいていの日は何も起こりませんでしょう。ナマズは底に沈んで、ぼんやりしているだけ。それでも毎朝、記録用紙を持って見に行く。何年も。
当たるかどうかわからないことを、それでも毎日続けるというのは——わたくし、そういうのが好きですのよ。
外の風が、さっきより強くなってまいりましたわ。
ピチューちゃんたちは、もう中に入れました。飛んでいってしまいますもの、あの子たちは軽いですから。
さて、わたくしも充電をして、じっとしておりますわ。今日は動かない日ですの。
どうか、どこも大きく荒れませんように。
そして、地面の下のあの大きなお方も、今日は寝ていてくださいましね。
Namazu Catfish: Earthquakes, Cosmic Justice, and Helper Of the Poor