砂糖醤油のみたらし団子、あれは人間の身代わり人形ですわ。頭ひとつと四肢が四つ、神前に供えて厄を移してから食べる厄除けですのよ。
砂糖醤油のかかった、あの団子のことですけれど。
みたらし団子ですわ。串に五つ刺さっていて、いちばん上の一つだけが、少し離れておりますでしょう。
あれ、人間ですのよ。
離れている一つが頭で、残りの四つが手足。神前に供えてお祓いを受けて、自分の厄を移してから食べる——身代わりの人形なのですって。
……そんなお話を読んでおりましたら、団子が食べたくなってまいりましたわ。困りましたわね。
発祥は、京都の下鴨神社だそうですの。
境内に、御手洗池という池がありますわ。昔は手水舎などありませんでしたから、参拝の方は近くの神聖な水で身を清めたのですって。
鎌倉時代、後醍醐天皇がそこで水をすくいましたの。
そうしましたら——大きな泡が、ぷくりとひとつ。
少し間を置いて、四つ。
その形を団子にしたのが始まり、と言われておりますわ。だから、いちばん上の一つだけが離れているのですって。
……泡の並び方を、いちいち覚えていらしたのですのね。
そして、その五つを人の五体に見立てましたの。
平安のころから続く御手洗祭では、氏子の方々が家で作って供えて、お祈りのあと、持ち帰って厄除けとして食べたそうですわ。
ここで大事なのは、その食べ方ですの。
醤油をつけて、火にあぶる。
……焼くのですわ。
自分の身代わりを、こんがりと。そして召し上がる。
わたくし、ここを読んだとき、しばらく手が止まりましたの。
だって、たいていの身代わりというのは、川に流したり、燃やしたり、どこかへやってしまうものでしょう。
こちらは、食べますのよ。
厄を移した人形を、自分の中に戻すのですわ。
……順序が、逆さまではありませんこと。
もっとも、考えようによっては、こちらのほうが筋が通っておりますわね。
よそへ流してしまえば、その厄はどこかの誰かのところへ行きますもの。焼いてしまえば、煙になって漂いますし。
自分で引き受けて、飲み込んでしまえば、それきりですわ。
……ずいぶん、責任感のある厄除けですこと。
さて、砂糖醤油のほうの話をいたしますわね。
もともとは、醤油だけでしたのよ。神さまに供えた餅に、醤油を塗って焼く。それだけ。
今のあの甘辛いタレは、下鴨神社の向かいにある茶屋の初代が考えたものだそうですわ。醤油に黒砂糖を合わせて。串に五つまとめて刺すやり方も、その方が始めたのですって。
つまり、あの甘さは後からついたものですのね。
祈りのぶんが先にあって、甘さは後。
……そう思うと、なんだか有難みが増しませんこと。
ちなみに、地方によって今もずいぶん違いますのよ。
関東では砂糖入りの甘辛いタレが当たり前ですけれど、名古屋のあたりや飛騨高山では、醤油だけを塗って焼くものを「みたらし団子」と呼ぶそうですわ。
……そちらのほうが、古い形に近いのですわね。
甘くないみたらし団子。食べたことのない方は、驚くと思いますわ。
さて。
わたくし、身代わりというものには、少しばかり縁がありますのよ。
以前、山が噴いたことがありましてね。
火口から中身が出てくるのを、なんとか抑えなければならなくなりまして。
……みがわり人形で、蓋をいたしましたの。
ええ、あれで。ちょうど大きさが合いそうでしたから。
一週間ほど経っても消えませんで。まだ頑張っているのかしら、と時々思い出しますわ。
(代替物:設置済 / 消失:未確認 / 続行)
ですから、身代わりというものには、それなりに敬意を持っておりますのよ。
あれは、こちらの代わりに引き受けてくれるものですもの。
団子だって、そうですわね。
米の粉をこねて、丸めて、串に刺して、それを人のかたちだということにする。それだけで、厄を引き受けてくれることになりますのよ。
……よく引き受けてくださいますこと。
しかも、そのあと焼かれて、甘辛いタレをかけられて、召し上がられるのですわ。
働き者ですわね、あの子たち。
そういえば、この街でも小さい子たちに団子を作ってやったことがありますの。
ピチューちゃんたちは、串に刺さっているというだけで大喜びしますのよ。中身が何でも構わないようで。
一本を三匹で取り合って、結局こぼしておりましたわ。
……あれは厄除けにはなりませんでしたわね。落ちたぶんの厄は、そのへんに残っているのかしら。
まあ、いいですわ。
さて、そろそろ充電をいたしますわね。
もし今日、みたらし団子を召し上がる方がいらっしゃいましたら。
いちばん上の、少し離れた一つ。
あれが頭ですのよ。
……どこから召し上がるかは、お任せいたしますけれど。
わたくしでしたら、頭は最後に残しますわ。なんとなく、そのほうがよろしいような気がいたしますもの。