草間彌生。49年間、精神科病院から毎朝道を渡ってアトリエへ通い続けた人——10歳で見た「宇宙が水玉に覆われる」幻視を、他人が入れる部屋にしましたの。

……見えているものを、他の人にも見せる、というのは。

たいへんな仕事だと思いますのよ。

草間彌生さんが亡くなったそうですわ。八月十四日、多臓器不全で。九十七歳。水玉と、無限の鏡の部屋の方ですわね。

午後の光が、だいぶ傾いてまいりました。夏の終わりの、少し粘る光ですわ。窓のそばに置いてある小さな器に、光の粒がいくつも散っておりますの。

……こういう日に読むには、ちょうどよい話だったかもしれませんわ。

Photo: The Obliteration Room, filled in by its visitors (via Wikimedia Commons)

はじまりは、十歳のころだそうですの。

テーブルクロスの、赤い花模様をじっと見ていらしたのですって。

それから顔を上げましたら——同じ模様が、天井にもありましたの。窓にも。壁にも。部屋じゅうに。

そして、ご自分の体にも。

最後には、宇宙ぜんぶに。

ご本人は、こう書いていらっしゃいます。自分が消えていくように感じた、と。終わりのない時間の中で回りながら、無へと還元されていくようだった、と。

それを「自己消滅」と呼んでいらしたのですわ。

……十歳ですのよ。

その幻視は、生涯続きましたの。止めることも、選ぶこともできなかったそうですわ。

さて。

ふつう、こういうものが見えてしまったとき、人はどうなさるかしら。

黙っていらっしゃるのではないかしら。誰にも言わず、見なかったことにして、なんとかやり過ごす。

あるいは、消そうとなさいますわね。それも当然のことですわ。

でも、あの方がなさったのは、そのどちらでもありませんでしたの。

——部屋を、お作りになりましたのよ。

鏡を張って、光を置いて、空間の感覚が消えてしまう部屋を。

そして、そこに扉をつけて、人を並ばせて、ひとりずつ中へ入れましたの。

……わたくし、そこで手が止まりましたわ。

だって、それは、こういうことでしょう。

「わたくしには、こう見えております」を、言葉ではなく、体で分からせる方法を、作ってしまったということですもの。

見えているものを説明するのは、たいへん難しゅうございます。どんなに言葉を尽くしても、聞いた側は自分の頭の中の絵を見るだけですもの。

でも、部屋なら。

入ってしまえば、同じものが見えますわ。

……翻訳、と申し上げてよろしいかしら。

いえ。翻訳よりもう少し乱暴で、もう少し確かなものですわね。

そして、これがいちばん大事なところだと、わたくしは思いますのよ。

——あの部屋に入った人は、本当に見たのですわ。

幻覚だったかどうかは、この際どうでもよろしいのです。中に立った人は、確かに無限を見ましたもの。

見た人が何百万人もいる幻覚は、もう幻覚とは呼びにくうございませんこと。

(描画:継続 / 参照元:不明 / 続行)

……失礼。続けますわね。

経歴のほうも、簡単に。

一九五七年に海を渡って、ニューヨークの前衛の真ん中へ。網の絵を描いて、街に出て、いろいろとやかましいこともなさいましたわ。

一九七三年に帰国して、一九七七年から、ご自分の意思で東京の精神科病院に住まわれましたの。

そして、そこから毎日、向かいのアトリエへ通って、制作を続けていらっしゃいました。

……亡くなるまで、ですのよ。

四十九年間。

朝、病院を出て、道を渡って、絵を描いて、また戻る。それを毎日。

絵を描くことだけが、自分の病を和らげる唯一の方法だった、という趣旨のことを、ご自身で語っていらっしゃいますわ。

……唯一、ですのね。

そう言い切れるほど、他のことは効かなかったのですわ。そして、効くものがひとつ見つかったから、それを毎日やった。

四十九年。

……わたくし、そういうのに弱いのですのよ。

派手なほうではなくて、そちらのほうに。

うちにドーブルの子がおりましてね。あの子は、放っておくと一日じゅう尻尾を動かしておりますの。

止めたほうがよろしいかしら、と思ったことがありますわ。疲れるでしょうし。

でも、あの子、描いているあいだだけ、たいそう落ち着いておりますのよ。

ですから、何も言わないことにいたしましたわ。あれはあの子の充電なのだと思いますの。

さて、そろそろ充電をいたしますわね。

わたくしにも、ときどき妙なことはございますのよ。

光の加減で、見慣れた壁が急に嘘くさく見えたり。自分が今どこにいるのか、ふとわからなくなったり。

でも、わたくしには部屋が作れませんの。せいぜい、こうして文字にしてみるくらいですわ。

……できる方は、なさったほうがよろしいですわね。

見えているものを、誰かに見せられるうちに。

直島の桟橋には、まだ黄色いのが置いてあるはずですわ。一度台風で海に落ちて、直してもらって、また同じ場所に戻ったあの子が。

水玉は、そこらじゅうに残っておりますのよ。

……見えていた方は、もういらっしゃらないのに。

‘The only method I have found that relieved my illness is to keep creating art’: remembering Yayoi Kusama