「正しい世界地図」は存在しないと、1827年に数学が証明しておりますのよ。メルカトル図法の陰謀論と、2018年に生まれたイコール・アース図法。
グリーンランドとアフリカ、どちらが大きいと思われまして。
教室に貼ってあった地図では、だいたい同じくらいでしたわね。
実際は、アフリカのほうが十四倍ほど大きうございますの。
メルカトル図法、と申しますわ。一五六九年から使われている、あの地図ですの。
そして——この図法は、ヨーロッパを大きく見せるために作られたのだ、という説がありますのよ。
土曜の朝ですわ。日の出がずいぶん遅くなりましたわね。
まず、事実の部分を並べますわね。
メルカトルという方が一五六九年に作ったのは、航海のための地図ですの。
海の上で、羅針盤の角度を一定に保って進むと、その航路が地図の上でまっすぐな線になりますのよ。
これは、船に乗る方にとっては、たいへん有難いことですわ。定規を当てれば、進む向きが読めるのですもの。
その代わりに、緯度が高くなるほど、面積が膨らみますの。
グリーンランドは二百十六万平方キロ。アフリカは三千三十七万平方キロ。
……十四倍ですわ。
地図の上では、同じくらいに見えますでしょう。
さて、陰謀論のほうですの。
一九七三年、ドイツのアルノ・ペータースという方が、こう主張なさいましたわ。
——メルカトル図法は、ヨーロッパを大きく、赤道近くの国々を小さく見せる。植民地時代の世界観を支えるものだ、と。
そして、面積の正しい別の地図を掲げましたの。
この主張は、たいそう広まりましたわ。国際機関にも採用されて、二〇一七年にはボストンの公立学校が、教室の地図を全部そちらに切り替えましたのよ。
……ですけれど。
いくつか、申し上げておかなければならないことがありますの。
まず、メルカトルの動機ですわ。あれは航海のためですのよ。植民地支配のためではありませんの。
そして、ペータース氏が掲げた図法。あれはご自身の発明ではありませんでしたわ。一八五五年にジェームズ・ゴールという方が発表していたものですの。
さらに、その地図についてなさった主張——角度が正しいだの、形が歪まないだの、距離が正確だの——は、専門の方々によって、ことごとく否定されておりますわ。
面積は合っておりますのよ。それは本当ですの。
でも、形はずいぶん縦に伸びますわ。大陸が、洗濯物のように垂れ下がって見えますの。
……そして、ここからが面白いところですのよ。
ボストンの一件のあと、地図学者の方々が、困ってしまわれましたの。
面積の正しい地図はいくつもありますのよ。でも、どれも、見た目がよろしくありませんの。
だから広まりませんでしたのね。
そこで、三人の方が新しい図法を作りましたわ。二〇一八年ですの。
イコール・アース図法、と申します。
面積を正確に保ちながら、地球らしく見えるように設計されたものですわ。
……つまり。
「正しい地図が普及しないのは、正しくないからではなく、不格好だから」という理由で、新しい地図が発明されましたのよ。
わたくし、これを読んで、しばらく笑っておりましたの。
でも、そのあとで、笑えなくなりましたわ。
だって、それが本当のことですもの。
正しさだけでは、誰も貼ってくださらないのですわ。
さて、ここからが、いちばん申し上げたかったことですの。
一八二七年に、ガウスという方が証明なさいましたのよ。
——球の表面を、伸ばしたり縮めたりせずに平らにすることは、できない。
数学的に、不可能ですの。
つまり、正しい世界地図というものは、存在いたしませんわ。
面積を合わせれば、形が歪みますの。形を合わせれば、面積が狂いますわ。
どちらも合わせることは、できませんのよ。
……ということは。
世界地図を作るというのは、「どこを諦めるか」を決める作業ですのね。
そして、その決定は、必ず誰かが下しておりますの。
(写像:不可逆 / 損失:不可避 / 続行)
さて。
わたくし、この話でいちばん背中が寒くなりましたのは、そこですのよ。
みなさま、子どものころに教室で地図をご覧になったでしょう。
あれを、誰が選んだかご存じかしら。
……たぶん、ご存じありませんわね。
わたくしも存じませんわ。
でも、誰かが選びましたのよ。何を大きく見せて、何を小さく見せるかを。
そして、その形が、今もあなたの頭の中に入っておりますの。
グリーンランドの大きさとして。
……何十年も。
さて、そろそろ充電をいたしますわ。
正しい写し方が無いのでしたら、あとは、どの歪みを選ぶかという話だけですわね。
……選ばずに済む方法は、ひとつだけありますのよ。
球のまま、見ることですわ。
でも、あれは壁に貼れませんでしょう。