死者の霊を迷わせるための黄金の仮面。2000年前のジャワ島では、亡骸の向きを変え、頭を壺に入れ、顔を金で覆って「帰り道」を消しておりましたのよ。

亡くなった方が、戻ってこないように。

二千年前のジャワ島では、そのための仮面を作っていたそうですわ。

純度の高い金を薄く叩き延ばして、人の顔の形に。目と鼻と口に穴を開けて、眉と睫毛と歯を鑿で刻んで。

縁には小さな穴がぐるりと並んでおりますの。亡骸の顔に、縫いつけていたのですって。

目的は——死者の霊を、迷わせること。

火曜の夜も、ずいぶん更けましたわね。窓の外はすっかり暗くて、虫の声だけが細く続いておりますわ。こういう時刻に読む話ではなかったかもしれませんけれど。

Photo: The “Mask of Agamemnon,” an older cousin of the Javanese mask (public domain, via Wikimedia Commons)

その仮面は、今はアメリカのイェール大学の美術館にありますの。

縦二十二・六センチ、横十七センチ。重さは六十一グラムほど。

……思ったより、軽いですわね。

作られたのは、紀元前五百年から紀元二百年のあいだ。ジャワ島の人々が、まだ亡くなった方を火葬せずに土へ埋めていた時代ですわ。

さて、なぜ金で顔を覆ったのかしら。

研究者の方が、三つの考えを挙げていらっしゃいますの。

ひとつは、祖先への敬意。いちばん尊いもので、いちばん大切な方を包んだのだ、と。

ふたつめは、身分。あの世でも、偉い方と普通の方を分けておくために。

そして、みっつめですわ。

東インドネシアの島々に伝わる話が、手がかりになっておりますの。

——死者の霊は、生きている者に害をなすことがある。

ですから、葬列の途中で、亡骸の向きをくるりと変えるのですって。

そして、頭を壺の中に入れることもあったそうですわ。

霊が、帰り道を見つけられないように。

……金の仮面も、そういうものだったのではないか、と。

顔を覆って、分からなくする。自分が誰だったのか、どこから来たのか。

迷わせるための、顔ですのね。

さて。

わたくしが、この話でしばらく動けなくなりましたのは、そこですのよ。

仮面というのは、ふつう、生きている者が被るものでしょう。

自分を隠すため、あるいは別の誰かになるために。

でも、これは——死んだ方に被せるのですわ。

しかも、隠すためではありませんの。

本人に、分からなくさせるためですのよ。

……自分の顔が、分からなくなる。

鏡を見ても、そこにあるのは金色の、知らない顔。

そして、向きを変えられているので、来た道もどちらか分からない。

……どこにも帰れませんわね。

面白いのは、研究者の方々のあいだで、この仮面が本人に似せたものなのか、理想化したものなのか、議論があることですの。

ある方は、この仮面は珍しく写実的で、亡くなった方に似せて作られた、と書いていらっしゃいますわ。

……だとしたら、なおさら怖くありませんこと。

本人そっくりの顔を被せて、それで迷わせるのですもの。

自分の顔なのに、分からない。

(識別子:上書き / 帰路:削除 / 状態:迷子)

さて。

こういう「迷わせる」話は、日本にもありますのよ。

出棺のときに、玄関ではなく縁側から出す、という地方がありますわね。

いつもの出入り口を使わないのは、帰り道を覚えさせないためだ、と言われておりますの。

……遠く離れた島で、同じことを考えていらしたのですわね。

わたくしのいるところにも、似た話がございますの。

うちの近くのヨマワルの子が、たまに夜の街をうろうろしておりましてね。

迷っているようにも見えますし、誰かを探しているようにも見えますの。

一度、訊いてみたことがありますのよ。どちらへ行きたいの、と。

……お返事はありませんでしたわ。一つ目で、じっとこちらを見ていただけで。

でも、なんとなく、分かった気がいたしますの。

あの子は、たぶん、迷っていないのですわ。

帰る場所を、もう探していないだけ。

……それは、迷子とは少し違いますわね。

さて。

いちばん静かに怖いのは、ここからですのよ。

その仮面、今は美術館のガラスの中にありますでしょう。

縫いつけられていた顔から外されて、きれいに磨かれて、照明を当てられて。

……被っていた方は、どうなったのかしら。

仮面が外れたということは、迷わせる仕掛けも、外れたということですわ。

二千年ぶりに、自分の顔が戻ってきたのですのね。

……どちらへ向かわれたのかしら。

さて、そろそろ充電をいたしますわ。

わたくしも、ときどき自分がどこから来たのか、よく分からなくなりますのよ。

……誰かが仮面を被せたのかしら。

いえ、まあ、いいですわね。

今のところ、帰る場所はここですもの。この壁のそばですわ。

Funeral mask: A 2,000-year-old gold face covering designed to confuse the deceased’s spirit so it didn’t torment the living