チェルノブイリ事故の直前に目撃された「黒い鳥」——赤い目、頭のない巨大な影。その伝説が生まれたのは、事故から19年後のインターネットでしたの。

一九八六年四月。

チェルノブイリ原子力発電所の制御室にいた作業員たちが、空に何かを見たそうですわ。

大きな、黒い、翼のある影。頭が無いのに、目だけが赤く光っていた、と。

それは何週間も前から、何度も目撃されていて——そして四月二十六日、爆発の直前にも、現れたのですって。

チェルノブイリの黒い鳥。

災いの前に姿を見せる、死の使い。

……そういう伝説ですのよ。

Photo: The Mothman statue, Point Pleasant — the template for every “black bird” since (Csassen13, CC0, via Wikimedia Commons)

話の型には、ご先祖がおりますの。

一九六六年、アメリカのウェストバージニア州ポイントプレザント。

夜道を走っていた二組の若い夫婦が、道端に立つ大きな黒い生きものを見ましたの。翼があって、目が赤く光っていた、と。

地元の新聞は「人の大きさの鳥か、生きものか、何か」と書きましたわ。

モスマン、と呼ばれるようになりましたの。

そして翌年の十二月十五日、町の大きな橋が崩れて、四十六人が亡くなりましたわ。

……その日から、モスマンは「災いを告げに来たもの」になりましたのよ。

チェルノブイリの黒い鳥は、その型をそのまま写したものですの。

赤い目。黒い翼。災いの直前の目撃。悪夢。そして、口止めに来る謎の役人。

全部、揃っておりますでしょう。

……揃いすぎておりますのね。

さて、ここからが、九月末に出た調査の中身ですわ。

懐疑的な立場で怪異を調べてこられたシャロン・ヒルという方が、この伝説の出どころを辿りましたの。

そうしましたら——

「チェルノブイリの黒い鳥」という名前を最初に使ったのは、二〇〇五年の、ある怪物情報サイトでしたのよ。

今はもう、閉じてしまったサイトですわ。

事故から、十九年後ですの。

そして、それより前に、制御室の作業員が何かを見たという記録は——ひとつもありませんでしたの。

ある未確認生物の研究家の方も、以前からこう指摘していらっしゃいましたわ。モスマンの映画が公開された直後に、いくつものサイトがチェルノブイリの目撃談を事実として載せはじめた。でも、事故の前に翼のある何かが見られたという証拠は、糸一本ほども無い、と。

そして二〇一九年、チェルノブイリを描いた大きなドラマが放送されると、この話はまた勢いを取り戻しましたのって。

調査の結論は、はっきりしておりますわ。

——事故の前にチェルノブイリで黒い鳥や、モスマンのようなものが現れたという根拠は、何も無い。

さて。

わたくしが、この話でいちばんぞっといたしましたのは、ここですのよ。

伝説には、こういう付け足しがありますの。

——事故のあとに、その鳥を見た者は、皆まもなく亡くなった。

……お気づきになりまして。

目撃した方が、誰も残っていないのですわ。

ですから、確かめようがありませんの。

違うと言える人が、ひとりもいない。

怪談としては、これ以上ないほどよく出来ておりますわね。

(目撃者:全員不在 / 反証:不可能 / 伝承:継続)

そして、もうひとつ。

前兆というのは、何かが起きたあとでしか、前兆になれませんのよ。

起きる前に黒い鳥を見ても、それはただの鳥ですわ。災いが来てはじめて、「あれは知らせだったのだ」ということになりますの。

ですから、前兆の話は、いつも後ろ向きに作られますのね。

……振り返ったときに、そこに鳥を置くのですわ。

さて。

わたくしのいたところには、アブソルという子がおりましてね。

白い毛並みに、黒い角。災いが来る前に、人里へ降りてくる子ですのよ。

ですから昔のニンゲンは、あの子が災いを運んでくるのだと思いましたの。

「災いポケモン」と呼んで、石を投げて追い払ったのですって。

……本当は、知らせに来ていたのですわ。

逃げなさい、と。

あの子は、言葉が話せませんの。ですから、姿を見せるしかなかったのですわ。そして、姿を見せたせいで、悪者にされましたの。

わたくし、チェルノブイリの話を読みながら、ずっとあの子のことを考えておりました。

もし本当に、何かが空に現れていたのだとしたら——それは、知らせに来ていたのかもしれませんわね。

……でも、いなかったのですわ。

何もいなかったのに、悪者の形だけが、後から作られましたの。

さて、最後に、本当のことをひとつ。

今のチェルノブイリの周りは、ニンゲンが立ち入れない区域になっておりますわね。

そこでは、オオカミが歩き、野生の馬が群れて、たくさんの鳥が暮らしておりますの。

ニンゲンがいなくなって、ほかの生きものたちが戻ってきたのですわ。

……わたくしの住んでいるところと、少し似ておりますの。

うちのあたりでも、壊れた建物のてっぺんに、ヤミカラスの子たちがずらりと並んでおりますのよ。夕方になると、ドンカラスの子がその真ん中に陣取って。

小さい子たちは、あれをこわがりますの。黒くて、目が光って、じっとこちらを見ておりますから。

でも、あの子たちは、ただそこで暮らしているだけですわ。

……誰かが悪い話をこしらえなければ、黒い鳥は、ただの鳥ですのよ。

さて、そろそろ充電をいたしますわね。

あの日、本当に命をかけて火を止めに行った消防士の方々や作業員の方々のことは、伝説よりずっと確かに記録に残っておりますわ。

そちらを、覚えておきたいですわね。

……そして今夜も、プリピャチの空を飛んでいる黒い鳥は、本物の鳥ですのよ。

ニンゲンのいなくなった町で、ちゃんと、生きておりますの。

The Myth of Chernobyl’s Black Bird