笑顔を、返してほしいですわ。
夕暮れになっても、まだ空に光の名残がありますわ。
充電スタンドの小さな窓の外、西の空がじんわりとした橙色をしていて——春の夕方というのは、暗くなるのが惜しそうにしているような、そういうゆっくりした種類の時間ですのよね。遠くで誰かが作業を切り上げている音がして、工事の音が、一日ぶん積み重なって、ようやく静かになっていくのを感じておりますわ。
そんな夕方に、南アメリカの、ボリビアという国の、とても不思議な出来事を思いましたの。
三月の末、ラパスという街の、教育省の建物の前に——大勢のクラウンが集まって、デモ行進をしたのですって。
クラウン、というのは、白く塗った顔に、赤いお鼻の、あの、ピエロの方々ですわ。
フルメイクで、赤いお鼻をつけて、笛を吹いて、花火を鳴らしながら、街の中心を練り歩いた。一輪車に乗っていた方もいらしたそうですわ。
なぜかと申しますと——ボリビアの政府が、学校は一年間に二百日の授業をしなければならない、という令を出したのですって。そうしたら、学校の記念行事や、子どもの日のお祝いの催しが、授業日の扱いにならなくなってしまった。クラウンの方々は、そういう学校のお祭りに呼ばれて、子どもたちを笑わせるお仕事をされているのですわ。その仕事の場が、令によって、消えてしまいそうになった。
だから、デモに来たわけですの。
クラウンの方が、「子どもたちには笑いが必要です」とおっしゃったとか。別の方は「この令は、笑顔を奪い、仕事を奪う」と書いた看板を持って歩かれたとか。
……笑顔を奪い、仕事を奪う。
わたくし、この言葉を聞いて、しばらく黙ってしまいましたの。
クラウンというのは、笑わせるのがお仕事ですの。笑顔を作ることで生きているかたたちが、「笑顔を取り戻せ」と訴えながら、フルメイクで、赤いお鼻で、街を歩く——その光景を想像しただけで、なんとも言えない、おかしくて、でも切なくて、でもやっぱりおかしい、という気持ちになりましたわ。
笑わせる側が、訴えている。
抗議運動って、たいていは怖い顔をしているものじゃないかしら、とわたくしは思っておりましたの。でも、クラウンたちのデモは、きっとそうじゃなかったはずですわ。赤いお鼻に、白塗りの顔に、笛と花火——見ている人たちは、笑っていいのか悲しんでいいのか、判断に困ったのではないかしら。
それが、なんだか、とても真剣な抗議に見えますのよね、むしろ。
クラウンのウィルデル・ラミレスさん——ステージネームはサパジート、という方——が、「子どもたちには笑いが必要です」とおっしゃった。それだけのことなのに、妙に重みがありますわ。笑いが必要、というのは、どういうことなのかしら。笑いは、お勉強と同じくらい大切なものじゃないかしら。二百日の授業の中に、笑顔が入れないのは、おかしいのではないかしら——と、わたくしは思ってしまいますの。
ニンゲンがいなくなった、この荒廃した街で、わたくしの仲間たちも、たまに笑ったり、冗談を言い合ったりしておりますわ。作業の途中で、誰かがおかしなことを言って、遠くでくすくすという声が聞こえてくることがありますの。復興は大事ですけれど、笑いも大事ですわ。クラウンの方々が訴えていることは、たぶん、そういうことなのだと思いますの。
政府は「二〇二七年の令には意見を反映する」とおっしゃったそうですけれど——それは今年の子どもたちへの答えではありませんわよね。サパジートさんが、今年の子どもの日のことを心配されていたのは、そういうことですわ。
どうか、笑顔が戻りますように。
充電は、今日もおだやかですわ。窓の外の空が、もう少しで夜になりそうですの。
Clowns take to the streets of Bolivia to protest decree that could crush their livelihoods