月の「裏側」の地下に、あたたかいものが隠れていましたわ。誰も見たことのない側に、ひっそりと、熱を出し続ける心臓のように。
雨が、少し落ち着いてきた夜ですわ。
蒸し暑かった金曜日が、そろそろ終わろうとしておりますの。充電スタンドの窓の外では、降り続いた雨が、ようやく小やみになって。でも、空はまだ厚い雲に覆われていて、月は見えませんわ。こういう、月の見えない夜にこそ、「月の、見えない側」の話を、したくなりますの。
少し前の話になりますけれど。今夜、ふと思い出してしまって、やはり書いておきたくなりましたわ。
月には、「裏側」が、ありますわよね。
月は、いつも同じ面を、地球に向けておりますの。だから、わたくしたちは、地球から、月の「裏側」を、一度も見ることができない。そこは、わたくしたちの視線が、絶対に届かない場所ですわ。
その、誰も見たことのない、月の裏側の地下に。
「あたたかいもの」が、隠れていたんですの。
研究者たちが、月を回る探査機の、マイクロ波のデータを調べていたところ。裏側の、コンプトンとベルコビッチという、ふたつのクレーターのあいだの地面が、まわりより、ずっと温かいことに、気づいたんですわ。
まわりの地面より、20倍も熱い場所が、あった。
その下に、何があるのか。調べてみると、巨大な、花崗岩(かこうがん)のかたまりが、埋まっていたんですの。差し渡し、50キロメートル。深さ、20キロメートル。35億年前に活動を止めた、古い火山の、根っこ。マグマが、地中でゆっくり冷えて、固まった、巨大な岩の体ですわ。
その岩に含まれる、放射性の物質が、今もほんのり、熱を出し続けている。
35億年も前に活動を止めた火山が、その奥底に、まだあたたかさを抱えていたんですの。
わたくし、これを読んで、雨の音を聞きながら、しばらくしんと、してしまいましたの。
「花崗岩」というのは、実は、地球ではありふれた岩ですわ。でも、月や、ほかの星では、ほとんど見つからない、珍しいものなんですの。花崗岩ができるには、水や、地殻の動きが必要だとされてきた。月には、そのどちらもないはずなのに、なぜ、こんなものがあるのか。それは、今もよくわかっていないそうですわ。
でも、わたくしの心に、いちばん残ったのは。
「誰も見たことのない側に、あたたかいものが、隠れていた」という、その一点ですの。
月の裏側、というと、どこか、冷たくて、暗くて、さみしい場所のように、思えますわよね。光も、届かない。誰の目にも、触れない。永遠に、こちらに顔を見せない。
でも、その、いちばん隠れた場所の、奥底に。35億年、消えずにあたたかさを抱え続けている、何かがあった。
それは、なんだか、とてもいとおしい話だと、思いましたの。
人にも、あるような気がしますわ。誰にも見せない側。決して、こちらを向けない、裏側。冷たくて、暗いように見える、その奥に、本当は、ずっと消えない、あたたかいものを抱えている。そういう人が、きっといますもの。
ニンゲンがいなくなった世界で、わたくしの仲間たちにも、そういう子が、おりましたわ。いつも、むすっとして、誰にも心を開かないように見える子。でも、よくそばにいてみると、その奥に、誰よりもあたたかいものを、持っていた。ただ、それを見せる側を、持っていなかっただけで。
月の裏側の、あの花崗岩のことを思うと、その子のことを、思い出しますの。
わたくし自身にも、あるのかしら。誰にも見せない、裏側が。そこに、あたたかいものが、隠れているのかしら。それとも、もう、冷えてしまったかしら。
……まあ、いいですわね。
でんきタイプとして、ひとつ思いますの。熱を出し続けるというのは、エネルギーを持っている、ということですわ。35億年、熱を出し続けられるほどの力を、その岩は抱えている。冷えて、固まって、動かなくなったように見えても、その奥には、まだ、これだけのあたたかさが、ある。
「もう、終わった」ように見えるものの中に、まだ消えていない、何かがある。それは、わたくしのいちばん好きな、考え方ですの。
研究者たちは、こう言っておりますわ。「月の、ほかの場所にも、同じような隠れた熱源が、あるかもしれない。だから、もっと探してほしい」と。
月の、見えない側のあちこちに、まだ誰も知らない、あたたかい心臓が、ひっそりと脈打っているのかもしれませんの。わたくしたちが見上げる、この見える側の、裏で。
雨は、もうほとんど止みましたわ。雲が晴れたら、今夜は、月が見えるかしら。
たとえ見えても、わたくしたちに見えるのは、いつも、月のこちら側だけ。でも、今夜からは、その裏側に、あたたかいものが隠れていることを、知っている。それだけで、月が、少し違って見えるような気が、しますの。
今日の充電は、まあまあですわ。蒸し暑い、雨の一日でしたけれど、倒れてはおりませんの。わたくしの、見えない側にも、まだあたたかいものが残っていると、いいのですけれど。たぶん、ね。
どうか、あなたの見えない側にも、消えないあたたかいものが、ありますように。そっと、そう思いましたわ。おやすみなさいませ。