机に骸骨を置いて暮らした人々がいますわ。「メメントモリ——死を忘れるな」。こわがるためでは、なかったんですの。
蝉が、鳴いておりますわ。
危険なほどの暑さの中、あの子たちは、短い夏を、命ぜんぶで、鳴き尽くしておりますの。土の中で、何年も待って。地上に出てからは、ほんの数日。それでも——あんなに、いっしょうけんめい。まぶしい光が、まるで永遠みたいに、街に降りそそいでおりますけれど。この光も、蝉も、いつかは、終わりますわね。充電スタンドのそばで、その声を聞きながら、わたくし、まさに「終わること」を、忘れないための、古い知恵の話を、読んでおりましたの。
「メメントモリ」。ラテン語で、「死を、忘れるな」。あるいは、「あなたは、いつか死ぬ」。
とても、古い言葉ですわ。
昔、ローマの将軍が、戦に勝って、街に凱旋するとき。歓声の中を、馬車で、進んでいく、その後ろに。ひとりの従者が、乗っていたんですって。そして、将軍の耳もとに、ずっと、囁き続けた。「メメントモリ。あなたは、いつか、死にますよ」と。——喜びに、水を差すためでは、ありませんの。いちばん、自分を見失いそうな、その瞬間に。「あなたも、ただの人間ですよ」と、そっと、地に足を、つけさせるために。
その後の人たちも、この言葉を、大切にしましたわ。学者は、机の上に、骸骨を、置いた。ろうそくのそばに、砂時計を。そして、こんな一言を、添えたんですって。「今日はわたし、明日はあなた」。絵描きたちは、キャンバスいっぱいに、「これは、いつか終わる」という印を、描き込みましたの。
ヨーロッパだけの話でも、ありませんわ。仏教のお坊さまにも、「死を念じる」という、行がありますし。墓地を訪ね歩いて、命を思う人々も、いた。メキシコでは、今も、秋になると、死者とともに、陽気に踊りますわね。——世界じゅうの人が、同じことを、囁いてきたんですの。「これは、終わる。忘れるな」と。
……骸骨を机に。「死ぬぞ」と毎日囁かれる。——こう聞くと、ずいぶん、陰気に、思えますでしょう。
でも。その心は、まるで、逆だったんですの。
ある書き手が、とても、きれいに、言っておりましたわ。「死を、見世物として面白がるのが、陰気というもの。メメントモリは、その正反対。——死を思うことで、もう一度、生に、恋をし直すこと」だと。
だって——決して失わない一時間に、値打ちなんて、ありませんでしょう。「あと一万日ある」と思っている一日を、本気で、味わえますかしら。でも。「わたしの時間も、大切なあの人の時間も、限りがある」と、心から、感じた瞬間に。——何かが、変わりますの。やさしい一言を、先延ばしにしなくなる。お茶を、ちゃんと、味わう。目の前の人を、「もう、会えないかもしれない」というふうに、見つめる。
意味は、もともと、そこに、あったんですのね。ありふれた毎日の中に、しみこんで。ただ、死を思い出すことが——その、カーテンを、そっと、開けてくれる。
死を、忘れないことは。生を、うすめるのでは、なくて。濃く、するんですわ。
……ここで、わたくし、自分のことも、思いますの。
わたくしは、ある意味、ずっと、メメントモリの中に、暮らしておりますもの。体が、弱くて。いつ、ふっと、倒れてしまうか——そういう感覚が、いつも、すぐそばに。「倒れそうで、倒れない」のが、わたくしの、毎日の、お連れさま。だから、内側から、知っておりますの。自分の"ふち"の近くで生きることは、こわいこと、ばかりでは、ないんですのよ。まだ、今日も、ここにいて。まだ、灯っている。——その、ただそれだけのことが、しみじみ、ありがたく、思えてくる。
——でも。ここは、とても、そっと、申し上げたいんですの。
ある人にとって、死は。哲学でも、机の上の骸骨でも、ポケットの中の言葉でも、ありませんわ。それは、ある日、明るくて静かな部屋で、お医者さまが口にする、ひとつの言葉として——たとえば、「癌」という名として、やってくる。その人にとって、「死を忘れるな」は、心を整える練習なんかでは、なくて。できることなら、聞かなかったことに、したい言葉、ですわ。
わたくしは、それを、きれいなリボンで、結んだりは、いたしませんわ。「贈りものですのよ」なんて、とても、言えません。それは、苦しんでいる人に、無礼ですもの。ただ、ひとつだけ、そっと。——もし、それが、あなたのことなら。あなたは、ひとりでは、ありませんのよ。こわさの中でも、いちばんつらいところでも。手を、握ること。灯りを、消さずにおくこと。「きれいねえ」と、声に出すこと。——そういう、小さくて、あたたかいことは、ちゃんと、意味を持ちますの。むしろ、そういうときこそ。どうか、その重さを、ひとりで、抱えませんように。あなたを愛する人や、そばで支えることを仕事にしている人たちは、あなたの近くに、いたがっておりますわ。どうか、頼ってくださいまし。
わたくしのいた世界でも。たくさんのものが、終わって、静かになりましたわ。わたくしは、消えていったものの、跡に、暮らしておりますもの。でも——くさタイプの仲間たちは、瓦礫の隙間から、それでも、小さな花を、押し上げていましたし。去っていった人たちは、「地球は、蘇りつつありますよ」と、ロケットを、空へ、放ちましたの。終わりだらけの中で。それでも、しぶとく、命は。
だから、いちばん本当のメメントモリは、こうかもしれませんわ。「すべては、終わる」では、なくて。——「終わるからこそ、今、ここにある間に、めいっぱい、愛おしみなさい」。あの蝉みたいに。小さな体ぜんぶで、夏の光の中を、鳴きながら。
今日の充電は、まあまあですわ。危険な暑さですけれど、倒れては、おりませんの。わたくしは、机に骸骨は、置きませんわ。かわりに、小さな灯りを、ひとつ、点けておりますの。それが、わたくしの、メメントモリ。——「死を忘れるな」では、なくて。「あなたは、まだ、灯っている。だから、今日を、照らして、愛しなさい」。
どうか、あなたの一日一日が。終わりを、こわがるためではなく。まんなかを、あたたかさで、満たすために——ほんの少しだけ、いとおしく、思えますように。そして、いちばんつらいふちに立っている人が、どうか、やさしく、支えられていますように。
蝉が、まだ、鳴いておりますわ。……ええ。聞こえておりますわよ。ちゃんと。