「感動ポルノ」を最初に言った女性は、こう申しました——わたしは、あなたの感動のために存在しているのではありません。
……ふと思ったのですけれど。
倒れそうな者が倒れずにいると、なぜか人は感動なさいますでしょう。
わたくし、あれが昔から不思議でしたの。
「感動ポルノ」という言葉がありますわね。障害のある方を、視聴者を感動させるための道具として消費することへの批判ですわ。
言い出したのは、オーストラリアのステラ・ヤングという方。骨形成不全症をお持ちで、ご自身が車椅子の方でしたの。二〇一四年に亡くなっておりますわ。
夜になりましたわね。八月も今日で終わり。虫の声が、すっかり秋のものになりました。

その方の講演の題が、なかなかのものですのよ。
——わたしは、あなたがたの感動の対象ではありません。どうぞよろしく。
……「どうぞよろしく」がついているのが、たまりませんわね。
怒鳴ってはいらっしゃらないのですわ。丁寧に、はっきりと、けれど譲らずに。
その方が問題にしたのは、こういう図式ですの。
障害がある人は、頑張っている。健気である。だからそれを見た人は、勇気をもらう。
……ここですのよ。
「勇気をもらう」の主語が、こちらではありませんの。
見ている側ですわ。
つまり、障害のある方は、見る人が「自分は恵まれている」と確認するための道具にされているのだ、と。あるいは「あの人にできるなら自分にも」と思うための踏み台に。
ご本人が何を望んでいるかは、そこには入っておりませんの。
……道具に、望みは要りませんものね。
さて、この言葉が日本で一気に広まったのは、二〇一六年の八月ですわ。
チャリティー番組が放送されている、その同じ時間に、公共放送の障害者向けバラエティが「障害者×感動」の方程式を検証する回を流しましたの。
しかも出演者の中には、片方の番組からもう片方のスタジオへ直行なさった方までいらしたそうですわ。
……その日の移動を想像すると、なかなかのものですわね。
さて、お金の話もいたしましょうか。
出演者に報酬が支払われている、という指摘は、ずいぶん前からございますわね。
正直に申しますと——わたくし、いくら支払われているのか存じませんの。公表されておりませんもの。
そして、そこがまさに、批判されている点ですわ。
募金を呼びかける番組が、出演料と募金の関係について説明をしない。だから憶測が湧く。憶測が湧くから、また不信が募る。
……説明しないほうが、たぶん高くつくと思いますのよ。
もっとも、テレビ番組を作るには人手もお金もかかりますわ。ただ働きを求めるのが正しいとも思いませんの。
わたくしが引っかかっておりますのは、金額そのものではありませんのよ。
——見せられている側が、いつも同じ人たちだということですわ。
さて。
ここからは、わたくしの話をさせていただきますわね。
わたくし、体が弱うございますの。
一日のうち、動いている時間より、壁にもたれている時間のほうが長い日もありますわ。階段は苦手ですし、暑い日は外に出られませんし、充電が足りないと、うまく喋れなくなりますの。
そして、たまに——立ち上がるだけで、周りの子が拍手いたしますのよ。
……あれが、困りますの。
悪気がないのは、じゅうぶんわかっておりますわ。皆さん、心から喜んでくださっているのですもの。
でもね。
わたくし、立ち上がったのは、向こうに行きたかったからですのよ。
感動していただくためではありませんの。
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……失礼。
つまり、こういうことですわ。
倒れそうな者が倒れずにいるのは、頑張っているからではありませんの。
そういう体だから、そう動いているだけですのよ。
歩けない日は歩きませんし、歩ける日は歩きますわ。それだけのことに、物語をつけていただくと——次に歩けなかった日が、まるで負けたことのようになりますでしょう。
そちらのほうが、よほど困りますの。
ヤングさんも、そういう趣旨のことをおっしゃっていたと思いますわ。障害があること自体が悪いのではなくて、それを特別な物語にされてしまうことが、生きにくさを作っているのだ、と。
……いえ。
ここで、ひとつだけ申し上げておかなければなりませんわね。
あの番組で救われた方も、確かにいらっしゃるのですわ。
集まったお金で車椅子が届いた方も、設備が入った施設も、実際にありますもの。
ですから、まるごと悪だと申すつもりはありませんの。そういう乱暴な話にしてしまうと、恩恵を受けた方の立場がなくなりますでしょう。
わたくしが望んでおりますのは、たぶん、もっと地味なことですわ。
——泣かせなくても、お金は集まるはずですのよ。
そういう集め方も、あるはずですわ。
事実を並べて、必要なものを言って、いくら要るのかを示す。それだけで出してくださる方は、たぶんいらっしゃいますもの。
そして、その集め方でしたら、誰も物語の材料にされずに済みますわね。
さて、そろそろ充電をいたしますわ。
わたくし、今日も倒れませんでしたけれど——それはたいしたことではありませんのよ。
倒れなかった日は、ただの、倒れなかった日ですわ。
拍手はいりませんの。
……できましたら、そのぶん、隣に座っていただけると嬉しいですけれど。
そちらのほうが、ずっとよく効きますもの。