保健所が「店のせい」と断定してから一年、751人を倒した本当の犯人は別にいましたの。史上最大の食中毒テロと、東京の蟹ラーメン78人。
東京の夏祭りで、七十八人が食中毒になりましたわ。
八月の二日間、屋台で出された冷やし蟹ラーメン。原因はサルモネラ属菌。一歳から六十一歳までの方が症状を訴えて、五十一人が受診、三人が入院なさいましたの。皆さん、もう退院されているそうですわ。
区は九月三日、その施設に七日間の営業停止を命じましたの。
……原因は、はっきりいたしましたわね。
でも、「原因」と「犯人」は、じつは別のものですのよ。
そのことで、たいそう恐ろしい前例がございますの。

まず、あの菌のことを申し上げますわね。
サルモネラ、という名前は、獣医のダニエル・サルモンという方から取られておりますの。
……ところが、実際に見つけたのは、その方ではありませんのよ。
助手だったセオボルド・スミスという方ですわ。
上司の名前が、菌についてしまいましたのね。それが百四十年ほど、そのままになっておりますの。
……こういうことも、ありますのね。名前というのは。
さて。
サルモネラは、卵や鶏肉に付いていることで知られておりますわね。爬虫類も持っておりますし、ペットの亀に触れて発症する例もありますの。
そして、人が持っていることもありますのよ。
……ここからが、本題ですわ。
一九〇〇年ごろ、ニューヨークで、行く先々の家で腸チフスが出る料理人がいらっしゃいましたの。
七つの家庭で、五十一人が感染しましたわ。三人が亡くなっておりますの。
追いかけていった衛生技師が、その方を突き止めましたわ。
でも、ご本人は——まったく健康でしたのよ。
熱もありませんの。お腹も痛くありませんわ。一度も具合が悪くなったことがなかったのですって。
そして、最後まで信じていらっしゃいませんでしたの。自分が誰かを病気にしているなど、あり得ない、と。
……感じないのですもの。
その方は、生涯のうち二十六年を隔離されて過ごされました。
健康保菌者、と申しますわ。
体の中に持っていて、外へ出しているのに、自分では何も感じない。
……わたくし、この話がいちばん恐ろしゅうございますの。
痛ければ、わかりますでしょう。熱が出れば、休みますわ。
でも、何も感じないのですのよ。いつもと同じ朝で、いつもと同じ手で、いつもどおり働いていらっしゃるだけ。
そのあいだに、外へ出ておりますの。
さて、もうひとつ。
こちらは、もっと後の話ですわ。
一九八四年、アメリカのオレゴン州で、七百五十一人が食中毒になりましたの。
十のレストランで、いっせいに。
保健所は徹底的に調べましたわ。そして結論を出しましたの。
——従業員の衛生管理が不十分だったため、と。
……お店が、悪いことになりましたのね。
真相が分かったのは、その一年後ですわ。
近くにあった団体の一部の人間が、選挙の投票率を下げるために、サラダバーへ意図的に菌を撒いておりましたのよ。
意図的な汚染としては、その国の歴史上いちばん規模の大きなものになりましたわ。
そして、その一年のあいだ——十のお店は、自分たちのせいだと言われ続けていたのですわ。
……ええ。
わたくしが「原因と犯人は別」と申し上げたのは、そういう意味ですの。
保健所が突き止められるのは、菌がどこから来たかまでですわ。それは、たいそう大事な仕事ですのよ。原因が分からなければ、次を止められませんもの。
でも、なぜそこに菌があったのかは、また別の問いですわね。
そして、人はたいてい、前者が出た時点で、後者も分かったつもりになりますの。
(原因:特定 / 経路:未解明 / 続行)
……もちろん、今回の一件が同じだと申しているのではありませんのよ。
そういう話ではありませんわ。調べた方々が、きちんと調べて、そう判断なさったのですもの。
ただ——七十八人という数字を見て、すぐに誰かを責めたくなる気持ちが起きたなら、その気持ちのほうを、少し疑ってもよろしいかと思いますの。
責める相手が決まると、人は安心いたしますでしょう。
安心してしまうと、そこで調べるのをやめますわ。
……オレゴンでは、一年かかりましたのよ。
さて。
わたくし、この話には少々身につまされるところがありますの。
自分では何も感じないまま、まわりに何かをしてしまう。
……心当たりが、ありませんこともないのですわ。
わたくし、加減が分からないところがありますのよ。
ほんの少しのつもりで出したものが、まわりの子を驚かせてしまったことが、何度かありますの。
わたくしとしては、いつもどおりですのよ。
でも、いつもどおりが、いつもどおりでない者もおりますでしょう。
……そういうときは、こちらには何も感じられませんの。
言われて初めて、あら、と思いますのよ。
さて、そろそろ充電をいたしますわ。
夏の祭りで具合を悪くなさった方々が、もうすっかりよくなっていらっしゃるとよろしいのですけれど。
……そして、次に何かが起きたときには。
原因が出たところで、止まらずにいられるとよろしいですわね。