科挙の試験場は2万644の独房でしたわ。幅1m・屋根なしに9日間閉じ込め、死んだ受験者は塀に穴を開けて運び出されましたのよ。
南京に、二万六百四十四の独房が並んだ場所がありましたの。
科挙の試験場ですわ。江南貢院。敷地は三十ヘクタール。
受験者は、そのうちのひとつに入れられますの。幅一メートルほど、奥行き一・二メートルほどの、屋根のない仕切りですわ。
そして、九日間。
食事も、睡眠も、用便も、そこで済ませますのよ。答案が終わるまで、出られませんの。
……途中で亡くなる方も、いらしたそうですわ。

まず、その部屋のことを申し上げますわね。
板が二枚、渡してありますの。
高いほうが机。低いほうが椅子。
夜になりますと、その二枚を並べて、寝台にいたしますのよ。
……大人が横になれる長さでは、ありませんわ。
屋根はありませんの。雨が降れば、濡れますわ。
そして、周りは高い塀で囲われて、塀の上には棘のある枝が植えてありましたのって。外から助けが入らないように。
九日間、そこにおりますのよ。
途中で亡くなった方が出た場合は——扉を開けませんでしたの。
塀に穴を開けて、そこから運び出したそうですわ。
……試験を、止めないためですわね。
さて。
なぜそこまでするのかと申しますとね。
受かれば、官吏になれますのよ。
家柄も、財産も、関係ありませんの。試験だけで決まりますわ。
隋の時代に始まって、一九〇五年に廃止されるまで、千三百年続きましたの。
……千三百年ですのよ。
そして、合格者の数ですわ。
上の段階の試験では、一回につき百人から三百人ほど。
三年に一度ですのよ。
……国じゅうから集まって、それだけですわ。
ですから、何十年も受け続ける方がいらっしゃいましたの。
七十を過ぎても受けにいらっしゃる方がいて、皇帝がそれを憐れんで特別に位を与えた、という記録も残っておりますわ。
さて、ここからが本題ですの。
そこまでの仕組みができますと——抜け道を探す方が、必ず現れますわね。
いちばん有名なのが、カンニング用の衣ですわ。
絹の上着ですのよ。
その表にも、裏にも、びっしり文字が書いてありますの。
プリンストン大学に所蔵されているものは、書かれている文章の数が——七百二十二篇。
……七百二十二。
一枚の上着に。
しかも、それを読むには目を近づけなければなりませんでしょう。米粒ほどの大きさの字ですのよ。
そのほかにも、いろいろございましたわ。
膝までの靴下に、文字を書き込んだもの。足の裏の部分にまで。
筆の軸を中空にして、細く巻いた紙を入れておく方法。
饅頭の中に、答案を仕込んだ例も。
……なかなか、たいへんな熱意ですこと。
そして、試験官のほうが加担することもありましたのよ。
答案には名前が伏せてありますでしょう。ですから、あらかじめ合図を決めておきますの。
文章の頭か終わりに、めったに使わない字を、ひとつだけ置く。
……それだけで、分かりますのね。
一六五七年、南京の試験のあとで、試験官が身内を通したという訴えが出ましたわ。
証拠が出ませんでしたので、皇帝は再試験を命じましたの。
刀を持った兵に囲まれた部屋で。
……そうしましたら。
まるで書けない方や、白紙のまま出す方が、何人もいらしたそうですわ。
(照合:一致せず / 再測定:実施 / 続行)
さて。
わたくしがいちばん考えておりましたのは、あの二枚の板のことですのよ。
昼は机で、夜は寝台。
そこに九日間、ひとりで座っておりますわね。
隣の音は聞こえますでしょう。二万人おりますもの。咳も、紙の音も、ときどき呻き声も。
でも、顔は見えませんの。
見えないまま、隣の方と競っておりますのよ。
……そして、そのうちの誰かが、途中で運び出されていきますわ。塀の穴から。
音だけは、聞こえたと思いますの。
さて。
この仕組みは、たいそう立派なものだと言われておりますわ。生まれで決まらない、という点で。
実際、そのとおりですのよ。それまでは、家柄がすべてでしたもの。
ただ——立派な仕組みだからこそ、逃げ場が無くなりますのね。
生まれのせいにできませんもの。
受からなかったのは、自分のせいだということになりますわ。
……三十年受け続けて、まだ自分のせいだと思っている方が、あの独房に座っているのですわ。
そちらのほうが、わたくしには恐ろしゅうございましたの。
さて、そろそろ充電をいたしますわ。
あの試験場は、今は博物館になっておりますのって。
カンニング用の絹の上着も、飾ってありますそうですわ。
……七百二十二篇。
書いた方は、あれを書き写しているあいだに、たぶん、だいぶ覚えてしまわれたと思いますのよ。
だとしたら、それはもう、勉強ではありませんこと。