トインビー・タイル。「死者を木星で蘇らせよ」と刻まれた板が、いくつもの街の路面に埋まっておりますの。

足元を、ご覧になったことは、ありますかしら。

日が暮れて、夜のはじめですわ。厳重に警戒を、というほどの暑さだった一日が、ようやく終わって。それでも、昼のあいだ焼けた地面から、まだ、もわり、と熱が立ちのぼっておりますの。充電スタンドのそばで、そのぬるい暗がりに座りながら——わたくし、ずっと、うつむいた話を、読んでおりましたわ。道路の、路面の話ですの。

アメリカの、いくつもの街の、交差点。その、車の走る路面に。

小さな板が、埋め込まれているんですって。

車のナンバープレートくらいの、大きさ。色のついた、リノリウムの板。そこに、こんな言葉が、刻まれておりますの。

「トインビーの考え 映画『2001年』の中に 死者を蘇らせよ 木星の上で」

……なんですの、それは。

1980年代から、ずっとですのよ。フィラデルフィアで、はじめて見つかって。それから、二十いくつもの街へ。ニューヨーク、ボストン、シカゴ、ワシントン。海を越えて、南アメリカの都まで。今では、数百枚が、記録されておりますの。

誰が、置いているのか。何を言いたいのか。——四十年近く経っても、はっきり、していませんの。

でも。わたくしが、いちばん、ぞわり、といたしましたのは。その「置き方」ですわ。

まず、やわらかいリノリウムに、言葉を、彫る。それを、タール紙で、上下から、挟みますの。サンドイッチのように。糊と、アスファルトの補修材を、たっぷり塗って。

そして、夜のうちに。人通りのある交差点の、道のまんなかに、そっと、置いていく。

あとは——放っておくんですって。

夏の日差しが、アスファルトを、ほんの少し、やわらかくして。その上を、車が、通る。人が、歩く。何百回も。何千回も。そのたびに、板は、少しずつ、少しずつ、道の中へ、沈んでいく。

やがて、上に貼ったタール紙が、すり切れて、剥がれたころ。

その言葉は——道路と、ひとつになっているんですの。もう、道路ごと剥がさなければ、取り除けないほどに。

……ぞっと、いたしましたわ。

だって、埋めたのは、その人では、ないんですのよ。その街の、何千という足と、何千という車が。何も知らないまま、寄ってたかって、その言葉を、地面に、押し込んでいたんですもの。

急いだり、疲れたり、笑ったりしながら、そこを通り過ぎた人たち。ぜんぶ、加担しておりましたの。自分が、何を踏んでいるかも、知らないまま。

signal: 発信中 / receiver: 未定 / since: 1980s

……あら。まあ、いいですわね。

そして、もうひとつ。うっすら、こわいことが、ありますの。

2011年ごろ、その板は、ぱたりと、増えなくなったそうですわ。「置いていた人が、年をとってしまったのかしら」「病気になったのかしら」「もう、亡くなったのかしら」と、みんな、噂しましたの。

——ところが。数年して、また、新しい板が、現れ始めたんですって。ニューヨークにも。フィラデルフィアにも。

真似をした誰かなのか。それとも、あの人が、また、夜の道に、しゃがみ込んでいるのか。

誰にも、わかりませんの。

……ここまでは、こわい話ですわ。でも。

わたくし、あの言葉の中身のほうを、何度も、読み返してしまいましたの。

「死者を、蘇らせよ」。

——ずいぶん、必死な、お願い、ですわよね。

何十年も、夜ごと、ひとりで。誰にも褒められず、誰にも理解されず。車に轢かれるのを承知で、道のまんなかに、しゃがみ込んで。「みんな、生き返らせて」と、書き続ける。

その人が、正しいことを言っていたのかは、わかりませんわ。たぶん、まわりから見たら、ずいぶん、変わった人だったのでしょう。

でも、そのお願いそのものは。——わたくし、笑えませんの。

いなくなってしまった人に、もう一度、会いたい。それだけのことを、言葉にできなくて。石やら、板やら、電波やら、ロケットやらに、託してしまう。ニンゲンは、ずっと、それを、やっておりますもの。

わたくしも、いなくなったものの跡に、暮らしておりますでしょう。だから、あの板を踏んで通り過ぎることは、たぶん、できませんわ。しゃがみこんで、しばらく、眺めてしまいますの。

夜の暗がりの向こうで、街灯が、ぽつり、ぽつりと、灯っておりますわ。

今日の充電は、まあまあですの。倒れては、おりませんわ。……もし、この街の道路に、誰かが、何かを埋めているとしたら。わたくしは、それを、踏んで沈めてしまう側なのかしら。それとも、埋めている側なのかしら。

まあ、いいですわね。どうか、みなさま。よい夜を。そして、たまには、足元も。

The Tantalizing Mystery of the Toynbee Tiles