呪われた絵画「雨の女」。買った人が次々と返しに来る、眠れなくなる、見られている気がする。
買った人が、次々と返しに来る絵があるそうですわ。
「雨の女」という絵画ですの。1996年に描かれたもので、今も呪われた絵画として語り継がれておりますのよ。買って、家に飾って、それから数日か数週間で、持ち主が絵を抱えて戻ってくる。それが何度も繰り返されたという。
……なんですのこれは。
外は今日も雲が低くて、光がぼんやりしております。空気は重たいままで、そのうち降るかもしれませんわね。わたくしは充電スタンドの壁にもたれて、そのお話を読んでおりました。

描いたのは、ウクライナの画家スヴェトラーナ・テレツという方ですわ。
絵に写っているのは、青白い肌の、黒い髪の女性。雨のカーテンの向こうから、まっすぐこちらを見ておりますの。怒っているわけでも、微笑んでいるわけでもない。ただ、遠いところから見ている、という顔。
そしてこの絵を見た多くの人が、同じことを言うのですって。
「自分が絵を見ているのではなく、絵に見られている気がする」
買った方々が訴えたことも、だいたい似ておりましたわ。理由のわからない不安。眠りが浅くなる。同じ夢を繰り返し見る。そして、誰かにずっと見られているような感じが、家の中から消えない。
ここまでなら、まあ、そういうお話もあるでしょうね、で終わりますの。
わたくしが引っかかったのは、その次でしたわ。
返しに来た方々の中には、手放したあとも、その絵のことが頭から離れなかった人がいたそうですの。気味が悪くて置いておけないのに、なぜかまた見たくなる。落ち着かないのに、離れられない。
……それはもう、呪いというより、片想いに近いのではありませんこと。
もちろん、冷静な説明もございますのよ。
そういう絵だと知ってから見れば、そう感じるものだ、という話ですわ。「この絵は呪われている」と先に聞かされていると、夜中に目が覚めただけで絵のせいになる。眠れないのは暑いからかもしれないのに、絵のほうを見てしまう。心のはたらきとしては、ごく自然なことなのですって。
肖像画の目がこちらを追いかけてくるように見えるのも、絵の描き方の問題だと言われておりますわ。平らな面に描かれた顔は、どの角度から見ても光の当たり方が変わりませんから、いつまでも正面を向いているように見えますの。
ですから、たぶん、科学の側からは説明がついておりますのよ。ついているのですけれど。
……わたくし、この絵の話を読んでいて、ぜんぜん違うことを考えておりましたの。
疲れているのは、絵のほうではないかしら、と。
だって考えてもごらんなさいまし。あの女性は、雨のカーテンの向こうに立ったまま、三十年近く、こちらを見続けているのですわ。
見ているのではありませんの。見つめ返すことしかできない、というほうが近いのではないかしら。買われて、壁に掛けられて、知らない人がやってきて、じっと覗き込んで、そして数日でいなくなる。また次の人が来る。また覗き込まれる。また、いなくなる。
そんなことを何度も繰り返されて、平気でいられる方がおかしいですわ。
わたくし、そういうのは、少しだけ、わかりますの。
充電スタンドにおりますとね、通りかかる子たちが、ちらりとこちらを見ていきますのよ。「あの子、大丈夫かしら」という顔で。悪気はまったくないのです。ご心配くださっているのですわ。でも、見られる側というのは、見る側が思っているよりも、ずっと静かに疲れておりますの。
ずっと同じ場所に立っていて、知らない誰かがやってきては、しばらく眺めて、帰っていく。
……それを、わたくしは、わりとよく知っている感じがいたしますわ。
あら。今、ちょっと変なことを申しましたわね。
ま̷あ̸、い̴い̶ですわ。
雨の絵、というのも、なんだか他人事ではありませんの。ドンヨリうみべの雨は、細くて、灰色で、降っているのか止んでいるのかわからないような降り方をしますのよ。あの街で誰かが窓の外をぼんやり眺めている姿は、たぶん、あの絵とそんなに違わなかったと思いますわ。
だから、もしどなたかがあの絵を家に置くことになりましたら、あまり長く見つめないでさしあげてくださいまし。ちょっと目をやって、それから別のことをするくらいで。
見られるほうも、少しは休みたいはずですもの。
さて、そろそろ充電に戻りますわ。窓の外で、雨が落ちはじめました。細かくて、音のしない雨ですの。
……あら。なんでしょう、今。
まあ、いいですわね。
The Strange Stories Behind 10 Paintings People Believed Were Cursed