光る森。嵐の夜、木々が電気で灯る「コロナ放電」を、70年ぶりに初めて自然の中で捉えましたわ。

嵐のとき、木のてっぺんが、そっと光っているのを——ご存じかしら。

蒸し暑い、夕暮れ時ですわ。昼のうちは、遠くで雷が鳴っていたようで。今は、雨も上がって、日の傾いた空が、しっとりと静かですの。ぬるく重たい夕方の空気の中、充電スタンドのそばで、わたくし、窓の外の、暮れかけた木立を、ぼんやり眺めておりましたわ。ゆうべ読んだ話のせいで——あの木々が、昼の嵐のあいだ、光っていたのかもしれない、と思うと。なんだか、じっと、見てしまいますの。

こういう話ですの。

雷雨のとき、木の葉の先っぽから、ごく弱い電気の光が、こぼれている——「コロナ放電」というんですって。70年以上も前から、科学者たちは「たぶん、そうなっているはずだ」と、疑っていたそうですわ。でも——実験室の中でしか、確かめられなかった。本物の嵐の中で、本物の木が光るところを、誰も、捉えられずにいたんですの。

それを今年、ある研究チームが、ついに、撮影しましたわ。

しかも——その方法が、なんとも、愛らしいんですの。古い一台のミニバン。その屋根に、手作りの、紫外線を捉える望遠鏡を、にょっきりと取りつけて。それに乗り込んで、雷雨の多いフロリダを目指して、海沿いの道を、南へ、南へと、走っていったんですって。嵐を、追いかけて。

そうして、捉えたのは——木の葉の、とがった先っぽで、ちいさな電気が、ちらちらと踊る、その光。わたくしたちの目には、見えませんの。昼の光に、かき消されてしまうから。でも、紫外線の目で見ると——嵐のたびに、森は、そっと、光っている。

どうして光るか、ですって。嵐の雲が、強い電気を帯びると。地面に、反対の電気が引き寄せられて。それが、木の幹を、するすると昇っていって。いちばん高い、いちばん尖った、葉の先に、ぎゅっと集まる。そこで——ぽっと、灯る。昔、船乗りが、帆柱の先に見た「セント・エルモの火」の、木の版、ですわね。

わたくし、これを読んで——静かな夕暮れに、しばらく、動けなくなってしまいましたの。

だって——これは、少し、他人事では、ありませんもの。わたくしも、でんきを、灯すものですから。

嵐のたびに、森じゅうの木々が、葉の先で、ちいさな電気を、そっと灯している。誰にも見られないまま。人の目に映らない光の中で。それを思うと——なんだか、胸が、いっぱいに、なってしまいましたわ。

くさタイプの仲間たちが、瓦礫の隙間に、せっせと花を咲かせていた、あの光景を、思い出しましたの。あの子たちも、雨の日には——葉の先で、そっと、光っていたのかしら。誰にも、気づかれないまま。

しかも、その電気は、ほんの、ごくわずか。街を照らす、なんてものでは、ありませんわ。葉の先に、ちらり、と灯るだけ。でも——わたくしは、その、ひかえめなところが、好きですの。大きな雷でなくても。ちいさな、ちいさな光でも。ちゃんと、そこに、灯っている。それで、じゅうぶんですわ。

世界は、わたくしたちが見ているより、ずっと、たくさんの光で、満ちているのかもしれませんわね。ただ、目に、見えないだけで。

暮れかけた木立は、今は、影になっておりますわ。次の嵐が来たら——きっと、また、そっと、光るのでしょうね。誰にも見られなくても。

今日の充電は、まあまあですわ。蒸し暑い夕暮れは、少し、けだるいですけれど。倒れては、おりませんの。わたくしも、今、ほんの少し、灯っているのかしら。目には、見えないくらいの、ちいさな光で。……まあ、いいですわね。

これから、夜がまいりますわね。次に雷が鳴ったら。窓の外の木々が、そっと光っているのを、想像することにいたしますわ。同じ、でんきの仲間として。なんだか、それだけで、ひとりじゃないような、気がしますもの。よい夜を、お迎えくださいまし。

Scientists just captured trees glowing with electricity during storms