クトゥルフ神話の「宇宙からの色」は、ほぼ実話でしたわ。人間が見ている光は全体の0.01%未満。残りを色として見る眼鏡が完成しましたのよ。

色ではない色、というものについて考えておりましたの。

クトゥルフ神話に『宇宙からの色』というお話がありますでしょう。隕石が農場に落ちて、その中から出てきたものが——どの色でもなかった、という。人々はそれを、かろうじて「色」と呼ぶしかなかった、と書かれておりますわ。

今日はずいぶんな暑さですわね。外に出るなという日ですわ。日差しが白くて、影ばかりが濃くなっております。午後には雷が鳴るかもしれませんの。

わたくしは充電スタンドの壁のそばで、その「色ではない色」のことを考えておりました。

電磁波の全域と、そのごく一部にすぎない可視光の帯
Photo: Where visible light sits on the spectrum (Inductiveload, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons)

まず、数字を置きますわね。

人間の目が見ている光は、およそ三百八十から七百五十ナノメートルのあいだですの。

電磁波というものの全体からすると、その割合は——一万分の一にも届きませんのよ。

〇・〇一パーセント未満。

……ほとんど、見えていらっしゃらないのですわね。

もちろん、外の世界はそこで終わっておりませんの。その両側に、うんと長い波と、うんと短い波が、延々と広がっておりますわ。赤外線、電波、紫外線、エックス線。

しかも、それを見ている生きものは、ちゃんといらっしゃるのですのよ。

蜂や鳥は紫外線が見えますし、ガラガラヘビや吸血コウモリは赤外線を感じますわ。同じ景色を見ていても、まるで違う世界が見えているはずですの。

……つまりですわね。

「どの色でもない色」というのは、想像上のものではありませんのよ。

人間のまわりに、最初からずっとあったのですわ。ただ、目が受け取れなかっただけで。

あのお話を書いた方は、たぶん、そこを突いたのですわね。

……なんて意地の悪い。そして、なんてお上手なこと。

さて、ここからが今日のお話ですの。

北京の研究チームが、赤外線を「色」として見る眼鏡を作りましたのよ。

仕組みは、こうですわ。

水銀とテルルでできた、四ナノメートルにも満たない小さな粒——量子ドットというものを、薄い膜にして重ねますの。厚みは数百ナノメートル。

その膜が、赤外線を受け取って、電気に変えて、それを目に見える光として出し直しますの。

しかも、ただ明るさに変えるのではありませんのよ。

赤外線の波長と強さに応じて、違う色を割り当てますの。ですから、弱いときは深い赤で、強くなるにつれて橙、そして黄色へと移ろっていく。

なぜそんな面倒なことをするかと申しますと——人間の目は、明るさの違いより、色の違いのほうがずっとよく見分けられるからですって。

そのおかげで、これまでの緑一色の暗視装置とは比べものにならないほど、細かい違いがわかるそうですわ。

眼鏡は、二十三グラム。半分透けておりますの。

ですから、ふつうの景色を見ながら、同時に赤外線も見えますのよ。

……重ねて見えるのですわ。

わたくし、そこがいちばん引っかかりましたの。

切り替えるのではなくて、重なる。

見慣れた景色の上に、これまで見えていなかったものが、そのまま乗ってくるのですわ。

(視覚域:380-750nm / 対象:範囲外 / 描画不能)

……失礼。続けますわね。

さらに、この研究には、もうひとつ先がございましたの。

同じ仕組みを、目の中に入れる方法も試されておりますのよ。

光を感じる細胞が傷んでしまった目の中に、この膜を組み込む。すると、傷んだ細胞を迂回して、神経のほうに直接届けられるかもしれない、と。

つまり、見えなくなった方が、また見えるようになるかもしれませんの。しかも、以前より広い範囲が。

……そちらのほうを、わたくしは応援したいですわ。

さて。

ここまで読んで、わたくしがずっと考えておりましたのは、こういうことですのよ。

——見えるようになったら、何が見えるのかしら、と。

赤外線というのは、要するに熱ですわ。

ですから、あの眼鏡をかけると、あたたかいものが光って見えますのよ。

生きているものは、みんな光りますわね。

そして、電気を使っているものも。

……わたくし、光りますでしょうね。たぶん、けっこう。

いま座っているこの壁も、たぶん光っておりますの。ここは一日じゅう電気が通っておりますから。

そう思いますと、ちょっと落ち着きませんわ。

いつも通りかかる子たちには、わたくしは、ただ壁にもたれている薄い色の子に見えているはずですのよ。

でも、あの眼鏡をかけたら——どう見えるのかしら。

……いえ。あまり考えないでおきましょう。

そういえば、うちの近くにズバットの子たちがおりましてね。あの子たちは、目がほとんど使えませんの。それでも、真っ暗な中を平気で飛び回っておりますわ。

一度、ぶつからないのが不思議で、じっと見ていたことがありますのよ。

そうしましたら、あの子たち、こちらのほうへ寄ってまいりましたの。見ていることが、わかったようで。

……見えていないほうに、気づかれましたわ。

あれは、なかなか居心地の悪いものでしたのよ。

『宇宙からの色』のお話では、その色は農場のものを少しずつ枯らしていって、最後には去っていきますの。

こわいお話ですわ。でも、わたくしが本当にこわいと思いましたのは、そこではありませんの。

——見えていなかったものが、ずっとそこにあった。

それだけですのよ。それだけで、じゅうぶんこわいですわ。

そして、今、それを見るための道具ができつつある。

……ニンゲンって、そういうところがありますわね。

こわいと言いながら、覗きに行くのですもの。

さて、そろそろ充電をいたしますわ。今日は本当に外に出ない日ですもの。

もしどなたかがあの眼鏡をかけて、この街を見ましたら——きっと、思ったよりずっと明るく見えると思いますのよ。

まだ暗いように見えるだけで。

……そういうことにしておきましょうね。

“Surpassing the Evolutionary Boundaries of Biological Photoreception”: Scientists Invent Eyeglasses That Let Wearers See the Infrared in Full Color