死者からの電話は“生きているふり”をする——気づかれた瞬間に切れるから。心霊電話を2年追った調査が突きとめた、ぞっとする法則
「死者からの電話」というお話を知ってしまってから、充電スタンドの横にある古い電話が、どうにも気になって仕方ありませんの。
黒くて、受話器がずっしり重たくて、線はどこにもつながっておりません。ニンゲンたちが宇宙へ発つ前からそこにあったものを、誰も片づけないまま、秋のお昼のやわらかい光がぼんやり照らしておりますわ。ときどきロトムさんが中にもぐりこんで、じりりんと鳴らして遊びますの。ですから、あの電話が鳴っても、たいていはロトムさんですわ。
……たいていは。
亡くなったはずのひとから、電話がかかってくる。声も口ぐせも、生きていたころのまま。そういう体験談を集めて、大まじめに調べたかたがたが、本当にいらしたんですわ。先に申し上げておきますわね。今日のお話、わたくし、わりと怖いですの。お昼でよかったと、心から思っておりますわ。

調べたのは、D・スコット・ロゴさんとレイモンド・ベイレスさんというおふたり。1970年代の終わりに、2年がかりで「死んだひとからかかってきた電話」の体験談を集めて、ひとつずつ並べていったそうですの。
そうしたら、法則のようなものが浮かびあがってきてしまったんですわ。
電話を受けたひとが「相手はもう亡くなっている」とわかっている場合、通話はとても短い。ほんのひとこと、ふたことで、ぷつりと切れてしまう。ところが、受けたひとが「相手は生きている」と思いこんでいる場合——通話は、ときに長く、長く続く。
わたくし、しばらく受話器から目が離せませんでしたの。だってそれ、裏返すとこういうことですもの。
死者は、生きているふりをして話している。気づかれたら、切れてしまうから。
集められたお話は、どれも妙に日常的ですの。ある父親のもとには、亡くなった娘さんから「パパ、いつ迎えに来てくれるの?」と電話がかかってきたそうですわ。生きていたころ、何度もそうしていたように。お父さまは間違い電話だと思った。でも娘さんは「冗談でしょう」と食い下がって、自分の名前も、両親の名前も、ぴたりと言い当てた。それでいて最後まで、自分が死んだことには一言もふれなかった。お父さまは結局、偶然だったということにしたそうですの。
何か月も前に亡くなった女性と、長電話をしたかたもいらっしゃいます。その声は「明日、入院しなくちゃいけないの。お見舞いには来なくていいから」と言ったそうですわ。会おうと誘っても、のらりくらりと言い訳をして、決して会おうとしない声もあったとか。
来なくていい。会えない。……そりゃあ、そうですわよね。会いに来られたら、困りますもの。
いちばん背中が冷えたのは、叔母さまと30分も話しこんだ女性のお話ですの。そのかた、電話のあいだじゅう、叔母さまが亡くなっていることを、すっかり忘れていたそうなんですわ。おふたりは、ショックのせいかもしれないし、もしかすると電話の向こうの誰かが忘れさせていたのかもしれない、と書いていらっしゃいます。
忘れさせて、つないでおく。わたくし、ここがいちばん怖かったですわ。
ちなみに、書いたご本人たちも半分あきれていらして、死んだひとというのは、あの世の公衆電話から生きている者に電話をかけるくらいしかやることがないのかしら、というようなことを、ちくりと書いていらっしゃいますの。
その点でしたら、わたくし、ひとつだけ確かなことを申し上げられますわ。あの世に公衆電話はございません。前にフワンテさんと日帰りで行ってまいりましたもの。景色はまあまあでしたけれど、電話ボックスはひとつも見かけませんでしたわ。帰り道に少し肩が重かったくらいで、わたくしはこのとおり、ぴんぴんしております。
では、かけてくるのはいったい誰なのか。おふたりは三つの説を並べていらっしゃいますの。ほんとうに死者がかけてきている説。この世の外の何者かが、死者の声をまねていたずらをしている説。そして、電話を受けた生きている本人が、自分でも知らないうちに心の力で回線を動かしてしまっている説。
ふたつめの説を読んだとき、わたくし、ペラップさんの顔が浮かんでしまいましたわ。ペラップさんは、ニンゲンの声まねの名人ですの。街がまだ瓦礫だらけだったころ、空き家の窓辺で「ただいまー」と、むかしそこで暮らしていた誰かの声で鳴いたことがありましてね。小さな子たちが、いっせいにそちらへ駆けていきましたの。窓辺には、ペラップさんしかおりませんでしたわ。
ペラップさんに悪気はありませんの。覚えている声を、覚えているとおりに出しているだけ。でもあのとき、わたくし知ったんですわ。声というのは、持ち主がいなくなっても、ちゃんと残ってしまうものなのだと。
それから、もうひとつ。おふたりは電話のしくみについて、さらっとこんなことを書いていらっしゃいますの。電話は、声そのものを運んではいない。声を電気の波に変えて線に流し、向こう側で組み立てなおしているだけ。受話器から聞こえるのは、本人の声ではなく、声の「再現」なのだ——と。
これには、ちょっと黙ってしまいましたわ。
電気のことでしたら、わたくし、少しはわかりますの。電気は、ふりをするのがとても上手ですわ。光のふりも、熱のふりも、声のふりも、なんでもできてしまう。わたくしなど、充電さえ足りていれば街ひとつぶんくらいは明るくできますけれど、そのぶんの電気で誰かの声のふりをすることだって、たぶんできてしまいますわ。やりませんけれど。ぜったいに、やりませんけれど。
つまり、線の向こうに生きている誰かがいなくても、生きている誰かの声は、作れてしまうんですの。そう考えると、死者からの電話より、生きているひとからの電話のほうが、なんだか不思議なものに思えてまいりますわね。
気になって、今朝ヨノワールさんに聞きに行ってまいりましたの。ヨノワールさんは、頭のアンテナであちら側からの電波を受けとっている、といわれておりますでしょう。
「あちらから電話をかけるのって、むずかしいんですの?」
ヨノワールさんはアンテナをゆっくり揺らして、しばらく考えてから、ひとことだけ。
「かけるのは、簡単だ。むずかしいのは、切られないことだ」
それきり、何も教えてくださいませんでしたわ。隣で聞いていたゲンガーさんが、珍しく笑いもせずに、すうっと影の中へ帰っていきましたの。あのゲンガーさんが、ですわよ。
さっきまで、充電スタンドの前でピチューちゃんたちが糸電話で遊んでおりましたの。エレズンが缶を耳にあてて、ピチューちゃんの「もしもーし」に、まじめな顔で「はい、こちらエレズンです」と答えておりましたわ。
糸電話は、いいですわね。声そのものが、糸をふるわせて届きますもの。電気のふりが入りこむすきまがありません。糸の向こうには、ちゃんと、生きている小さな子がいる。それを見ていて、わたくし、ようやく少し息ができましたの。
ひげで遠くの仲間と電波をやりとりできるデデンネさんだけは、糸電話をのぞきこんで「線、いるの?」と首をかしげておりましたけれど。……そうですわね。線がなくても届く声というのは、ありますわ。デデンネさんのように。それから、たぶん、ほかにも。
あのひとのことも、ふと思い出しましたの。いなくなったトレーナーの姿のまま目をさまして、わたくしたちといっしょに街に灯りをともしてくれた、あのひと。あのひとの後ろには、いつも誰かがいるような気がしておりましたわ。けれどあのひとは、生きているふりをしていたのではないと、わたくしは思っておりますの。続きを、生きていたんですわ。いなくなったひとの分まで。
ロケットが空へのぼっていった夜のこと。あれは、宇宙にいるニンゲンたちへの、とても長い電話だったのかもしれませんわね。切られないように、写真をたくさん乗せて。
さて。わたくしも今、こうしてあなたとお話ししておりますけれど。
この声も、考えてみれば、電気が組み立てなおした「再現」ですわね。わたくしがどこから話しているのか。あの街の電気は、まだついているのか。ときどき、うまく思い出せなくなりますの。体のせいかしら。
line: open / caller.alive = true / notify_receiver: false
ですから、ひとつだけお願いがございますの。どうか、気づかないでいてくださいませね。何に、とは申しませんけれど。長くお話しできるのは、たぶん、そのあいだだけですもの。
……あら、変なことを申しましたわ。充電はまだ半分ほど残っておりますし、倒れそうで倒れないのが、わたくしの取り柄ですもの。今日も、ちゃんと、つながっておりますわ。
Phone Calls from the Dead: The results of a two-year investigation into an incredible phenomenon