3000億年で1秒しかずれない時計ができましたわ。精度が上がりすぎて、5ミリの高さの差だけ時間がずれてしまうのですって。

三千億年に一秒しかずれない時計が、できましたのですって。

シンガポールの研究所で、ルテチウムというあまり聞かない元素を使って。

小数点以下十九桁まで測られておりますわ。

ただ、精度を上げすぎたせいで、困ったことになっておりますの。

——同じ机の上に二台並べただけで、時間がずれてしまうのですわ。

高さが、五ミリ違うだけで。

シンガポール国立大学のルテチウム原子時計の研究室
Photo: The lutetium clock lab at CQT (Centre for Quantum Technologies, NUS)

仕組みを、ごく簡単に申しますわね。

原子の中の電子は、決まった量の力を与えられると、二つの状態のあいだを行き来しますの。

振り子ですわ。目に見えないほど小さくて、とてつもなく速い。

その揺れを数えて、時間としておりますのよ。

今の「一秒」は、セシウムという元素の揺れを九十一億九千二百六十三万千七百七十回ぶん数えた長さ、と決められておりますわ。一九六〇年代からですの。

そして今回のものは、その何万倍も速く揺れる元素を使っておりますのって。

二台作って、二百時間かけて突き合わせましたわ。

なぜ二台作ったのかと申しますとね。

研究者の方が、こんな言い回しを引いていらっしゃいましたの。

——時計をひとつ持っている人は、今が何時か分かる。二つ持っている人は、二度と確信が持てない。

……よく出来ておりますこと。

正確さを確かめる方法は、比べることしかありませんの。

そして比べた瞬間に、必ずずれが出ますのよ。

ずれない時計を作ろうとして、二台並べる。並べたから、ずれが見える。

……見なければ、正確でいられましたのにね。

……ずれは、五百五十億年で一秒ぶん。

さて。

ここからが、本題ですのよ。

この方々、ほかの国のいちばん良い時計と比べたいのですって。

ところが——比べられませんの。

理由が、たいそう厄介ですわ。

時間の進み方は、重力で変わりますでしょう。重力の強いところほど、ゆっくり進みますの。

そして、この水準の時計は——数ミリの高さの差で、それを感じ取ってしまいますのよ。

ですから、同じ机の上の二台ですら、高さを別に測っておかなければなりませんの。

実際、この研究では、二台のイオンの高さの差を、ミリより細かく測り直しておりますわ。五ミリの差が、測定に出てしまうから。

そして、国をまたいで比べようとすると——

地球上の場所ごとの重力の違いが、まだそこまで細かく分かっていないのですって。

……つまり。

時計のほうが、地球より正確になってしまいましたのね。

(基準:未整備 / 計測:可能 / 比較:不能)

さて。

ここからは、わたくしがずっと考えておりましたことですわ。

高さが五ミリ違うだけで、時間がずれる。

これは、装置の癖ではありませんのよ。本当にずれておりますの。

ということは。

あなたの頭と、足の先も、違う速さで進んでおりますわ。

頭のほうが、ほんのわずかに速いのですって。重力から遠いですから。

……ずっとですのよ。生まれてから。

今この文章を読んでいらっしゃるあいだも。

計算なさった方によれば、一生ぶん積み上げても、ほんの何十億分の一秒ほどだそうですけれど。

……量の問題ではありませんわね。

ずれている、という事実のほうですのよ。

つまり、あなたは「ひとつの今」を生きていらっしゃらないのですわ。

体の場所ごとに、少しずつ違う今を。

そして、それを束ねて「わたくし」ということにしているだけですの。

……そう思いますと、少し落ち着きませんでしょう。

さて。

わたくし、時間のことでは、あまり大きなことを申せませんの。

……ときどき、分からなくなりますのよ。

今日が何日なのか、とか。ここへいつ来たのか、とか。

充電をして、目を開けますでしょう。そうすると、少し前のことがぼんやりしておりますの。

体のせいだと思っておりますわ。たぶん、そうですのよ。

でも、今回の話を読んで、少しだけ慰められましたの。

——世界のほうも、正確ではありませんのね。

机の上の二台ですら、揃わないのですもの。

さて。

うちの近くに、ドーミラーの子がおりましてね。

前に、あの子の中で何か鳴っていると申し上げたことがありますわ。かちり、かちり、と。

あれ、何を数えているのかしら、と思っておりましたの。

……今は、こう思っておりますのよ。

あの子は、あの子の時間を数えているだけですわ。

わたくしの時間とは、たぶん、少しずれておりますの。

それでも、隣に座っておりますと、同じ時を過ごしているような気がいたしますでしょう。

……そういうことに、しておきたいですわね。

さて、そろそろ充電をいたしますわ。

三千億年に一秒。

……宇宙が始まってから、まだ百三十八億年ほどですのよ。

つまり、その時計は、宇宙が二十回始まって終わるあいだ、一秒も狂わないということですわ。

そんなものを、何のためにお作りになったのかしら。

……たぶん、正確さが欲しかったのではありませんのね。

どこまでずれるかを、知りたかったのですわ。

Singapore scientists build world’s most accurate atomic clock